賀川玄迪(読み)かがわげんてき

精選版 日本国語大辞典 「賀川玄迪」の意味・読み・例文・類語

かがわ‐げんてき【賀川玄迪】

江戸中期の産科医秋田の人。玄悦に学び、その娘と結婚して義父の跡を継ぎ、賀川流産科基礎を確立した。著「産論翼」など。元文四~安永八年(一七三九‐七九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀川玄迪」の解説

賀川玄迪 かがわ-げんてき

1739-1779 江戸時代中期の医師
元文4年生まれ。京都で賀川玄悦にまなんで賀川家の養子にはいり,阿波(あわ)徳島藩藩医となる。安永4年(1775)玄悦の「子玄子産論」を増補して「産論翼」をあらわし,賀川流産科をととのえた。安永8年10月8日死去。41歳。出羽(でわ)秋田出身。本姓岡本。字(あざな)は子啓。号は有斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android