遠藤隆吉(読み)えんどうりゅうきち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「遠藤隆吉」の意味・わかりやすい解説

遠藤隆吉
えんどうりゅうきち
(1874―1946)

社会学者。群馬県生まれ。1899年(明治32)東京帝国大学文科大学卒業。東洋大学、早稲田(わせだ)大学の教授を務め、のちに巣鴨(すがも)高等商業学校(現在の千葉商科大学)を設立するかたわら日本社会学研究所を主宰した。初めは社会有機体説立場にたっていたが、のちにギディングス学説の影響を受けて、心理学的社会学を展開した。集合意識説から意志結合説、さらに社会力説という形で、自分の心理学的社会学の主張を展開し、京都帝国大学にあった米田庄太郎(よねだしょうたろう)に接近、当時支配的であった建部遯吾(たけべとんご)らの社会有機体説と対立するに至った。

 著書には『現今之社会学』(1901)、『近世社会学』(1907)、『社会力』(1916)、『社会学原論』(1923)などがある。

河村 望]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遠藤隆吉」の解説

遠藤隆吉 えんどう-りゅうきち

1874-1946 明治-昭和時代前期の社会学者。
明治7年10月生まれ。東洋大,早大の教授をつとめる。昭和3年巣鴨高商(現千葉商大)を創立。日本社会学研究所を主宰した。昭和21年2月5日死去。73歳。群馬県出身。東京帝大卒。著作に「現今之社会学」「社会学原論」など。

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世界大百科事典(旧版)内の遠藤隆吉の言及

【教育社会学】より

…1923年アメリカでは〈全国教育社会学会〉が設立され,さらに27年からは《教育社会学雑誌》が発刊されるに至った。日本では,大正初期に建部遯吾,遠藤隆吉らの社会学者が教育に対する関心を示し,さらに田制佐重,市川一郎らによってアメリカ教育社会学の概説書の邦訳,紹介がなされた。大正・昭和を通じて戦前期には,ドイツ,フランスなどの教育社会学の動向が紹介されたが,本格的な教育社会学の研究が開始されたのは第2次大戦後のことである。…

※「遠藤隆吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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