朝日日本歴史人物事典の解説
生年:
生年不詳
没年:
建保6.10.27(1218.11.16)
平安末期・鎌倉初期の武士。長馬新大夫為連の子。左兵衛尉。後白河法皇の皇子以仁王に仕える。治承4(1180)年5月15日,以仁王の平家打倒計画が未然に発覚したときに,ただひとりで討手を迎え撃つ。その様は『平家物語』に詳しい。その後以仁王と共に討死したとする『平家物語』(延慶本他)もあるが,他の『平家物語』や『吾妻鏡』は後日談を記す。六波羅に連行され,伯耆国に流され(あるいはさまよい),のち文治2(1186)年4月,関東御後家人になり,能登国大屋庄の地頭職に命ぜられる。のち出家。当庄河原田で卒す。子孫の長家によって,土地領有を保証する信連戦功の伝承と頼朝の下文が伝えられる。<参考文献>佐伯真一「源頼朝と軍記・説話・物語」(『説話論集』二)
(櫻井陽子)
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
長谷部信連 はせべ‐のぶつら
 
?‐1218
平安後期-鎌倉時代の武士。
以仁(もちひと)王につかえる。治承(じしょう)4年(1180)以仁王の平氏追討計画が発覚すると、王を近江(おうみ)(滋賀県)園城(おんじょう)寺ににがす。みずからは伯耆(ほうき)(鳥取県)に流されたが、平氏滅亡後、源頼朝より関東御家人にくわえられ、能登(のと)(石川県)大屋荘をあたえられた。建保(けんぽ)6年10月27日死去。享年は一説に72歳。
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