門跡(読み)もんぜき

精選版 日本国語大辞典 「門跡」の意味・読み・例文・類語

もん‐ぜき【門跡】

[1] 仏語。
① 祖師から継承する法流。また、法流を継ぐ門徒、さらにその門徒が住持する寺家・院家のこと。
※観智院本三宝絵(984)下「世世の賢臣おほくこの門跡をつげり」
② 皇族・貴族の子弟が出家して、入室している特定の寺格の寺家・院家。また、その寺家・院家の住職。南北朝時代には、寺院の格式を表わす語となり、江戸幕府は、宮門跡摂家門跡清華門跡准門跡などに区分して制度化した。門主。
太平記(14C後)一「梨本の門跡に御入室有て、承鎮親王の御門弟と成せ給ひて」
[2] (本願寺は准門跡であるところからいう) 本願寺の称。また、その管長の称。御門跡
※咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)下「六条のもんぜきに能の有時」

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デジタル大辞泉 「門跡」の意味・読み・例文・類語

もん‐ぜき【門跡】

宗門の本山。また、そこに住み、その法系をいでいる僧。
平安時代以後、皇族・貴族などが出家して居住した特定の寺院。また、その住職。室町時代以後は寺院の格式を示す語となった。江戸幕府により制度化され、宮門跡摂家門跡清華門跡准門跡の区別を生じたが、明治4年(1871)廃止、以後は私称となった。
《本願寺は準門跡であるところから》本願寺管長の俗称。

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改訂新版 世界大百科事典 「門跡」の意味・わかりやすい解説

門跡 (もんぜき)

平安時代には一門の祖師の法脈を継承する寺の意で,弘法大師(空海)の門跡,慈覚大師(円仁)の門跡などといった。平安時代後期からは皇族や公家などが出家して代々入寺する寺,あるいはその寺の住職を指す。その最初は宇多天皇が出家入寺した仁和(にんな)寺(御室(おむろ)御所)とされる。中世以降,門跡は寺格化し,特定の大寺の長を独占するようになった。延暦寺座主(ざす)は叡山三門跡と呼ばれた梶井円融院(現,三千院)と粟田口青蓮(しようれん)院と大仏妙法院の門跡が,また園城(おんじよう)寺(三井寺)の長吏は三井三門跡の京都聖護(しようご)院と岩倉実相院と大津円満院の門跡が,興福寺別当は大乗院と一乗院の門跡が交替で就任したのがその例である。

 江戸時代になると,幕府は多くの門跡寺院をそのときどきの住持の族姓によって,次のように制度化した。皇子入室の寺を宮(みや)門跡,伏見・有栖川・桂の三宮家より入室の寺を親王門跡,摂家(せつけ)(五摂家)入室の寺を摂家門跡,清華(せいが)家入室の寺を清華門跡,これに東西の本願寺,興正寺,専修(せんじゆ)寺,仏光寺,錦織寺を准門跡と定めた。中世・近世において,皇室や公家は自由に分家は許されなかった。宮家や摂家や清華家の数は限られ,貴族の家に生まれた多くの男子は,嗣子や同格の家の養子となった者を除いて,実際には仏門に入るより道はなかった。門跡寺院はこれら貴族の子弟を受け入れる役割を果たし,門跡職は伯(叔)父から甥へ,さらにその甥へと相続されることが多かった。たとえば代々皇子が入寺した宮門跡寺院は,天皇の兄弟や叔父や甥がいつも門跡であって,さながら天皇家の分家のような性格をもっていた。事情は親王門跡,摂家門跡などでも同じである。こうして中世・近世の門跡は,宮廷貴族階層を構成する主要な員数であって,宮廷を中心にくりひろげられる宗教・文学・芸能の多彩な文化活動において,つねに上皇や天皇の近辺にあり,その豊富な教養や知性をもとに活躍した人が多かった。皇室や公家も,建物や調度品を門跡寺院によく寄進したので,今日これらの寺院は,当代宮廷文化の香りをよく伝える宝庫となっている。門跡寺院を宗派別にみると,准門跡の浄土真宗を除くと天台・真言と南都六宗,またその所在は江戸時代に創立した輪王寺宮輪王寺宮門跡)を除いて京都・奈良近辺の古代官寺系の名刹がほとんどである。だが明治維新に際し,神仏分離神道国教化政策で宮門跡がいっせいに還俗(げんぞく)し,また1871年(明治4)公的な門跡制度は廃止された。その後,門跡の呼称の復称は許されたが,それは今日まで私称として各寺院が用いているものである。
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百科事典マイペディア 「門跡」の意味・わかりやすい解説

門跡【もんぜき】

元来は〈一門の法跡〉の意で,法統を継ぐ寺院の主たる僧をさした。のち宇多天皇が仁和寺(にんなじ)で出家,仁和寺を御門跡と称して以来,皇族・公家などが出家して代々入寺する寺院の寺格を示す称号に転化。親王の居住するものを宮(みや)門跡,摂家(せっけ)の子弟の居住するものを摂家門跡,清華家(せいがけ)出身の住職寺院を清華門跡,門跡寺に準ずるものを准門跡(または脇門跡)と呼んだ。明治以後,門跡の名称は廃された。なお門跡寺院の住持は門跡または門主(もんしゅ)と呼ばれた。
→関連項目安居院足利義昭一円保雄琴織田荘経覚私要鈔久留美荘醍醐寺文書大乗院寺社雑事記大乗院日記目録田仲荘天台座主吉崎

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「門跡」の意味・わかりやすい解説

門跡
もんぜき

一門一派の法跡の意で、元来は、祖師から弟子へと継承されていく宗門の教えの伝統のことを、またその伝統の継承者のことをいった。しかし、899年(昌泰2)に宇多(うだ)上皇が出家して法皇となり仁和寺(にんなじ)に入ってからは、後世にこれを御門跡(ごもんぜき)と称したために、法皇や法親王(ほうしんのう)が住持したり開創した寺院、またその住持を御門跡または門主とよぶようになった。のちには皇族だけでなく貴族についても公卿(くぎょう)門跡ができ、室町時代には、門跡という語はこうした皇族・貴族のかかわる特定寺院の格式を表す語となった。室町幕府門跡奉行(ぶぎょう)を置いて門跡寺院の政務をつかさどり、江戸幕府は門跡を宮(みや)門跡、摂家(せっけ)門跡、清華(せいが)門跡、准(じゅん)門跡に区別してこれを制度化した。

 門跡寺院は、天台、真言(しんごん)、法相(ほっそう)、浄土、真宗などの各宗にわたってあるが、たとえば天台宗では九家あり、そのうちの粟田口青蓮(あわたぐちしょうれん)院、大仏妙法(みょうほう)院、大原円融(えんにゅう)院の三門跡の住持は叡山(えいざん)の座主(ざす)を兼職するので「叡山の三門跡」といい、三井円満(みいえんまん)院、聖護(しょうご)院、岩倉実相(じっそう)院の三門跡は三井寺の長主を兼ねるので「三井の三門跡」とよぶ。浄土真宗では、本願寺、東本願寺、専修(せんじゅ)寺、興正(こうしょう)寺、仏光寺の五家があるが、そのうちとくに本願寺とその管長を門跡、御門跡とよんでいる。

[藤井教公]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「門跡」の意味・わかりやすい解説

門跡
もんぜき

本来は一門の祖跡の意で,祖師の法門を受継ぐ寺院またはその主僧のこと。平安時代宇多天皇が僧となって京都御室の仁和寺に住み,この寺を御門跡と呼ぶようになった。それ以来法親王の住む寺院を門跡と称し,最高の寺格を示す称号となった。宮門跡,摂家門跡,清華門跡,公方門跡,准門跡などの別があり,門跡の住持を門主 (もんす) ,御門主と称したが,のちにはこれら住持のことを門跡,御門跡ともいうようになった。特に真宗本願寺の管長の俗称として門跡の名が普及した。寺格の称号としての門跡は明治初年廃されたが,私称としては認められ今日にいたっている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「門跡」の解説

門跡
もんぜき

一門の法脈を継承する寺院,またその主僧。平安後期以降は貴種の住む寺として寺格化し,その出身者が大寺の長を独占するようになる。仁和(にんな)寺,延暦寺の三門跡,興福寺の一乗院・大乗院などが有名。近世には皇子の住む宮門跡,摂家入室の摂家門跡,清華(せいが)家入室の清華家門跡などの区分が用いられた。門跡は宮廷社会の延長として文化や芸術・学問の担い手の役割をはたしたが,明治期に公的な門跡制度は廃止され,以後私称となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「門跡」の解説

門跡
もんぜき

皇族・貴族の住する特定寺院の称号
元来は門徒一跡を統領する意味から,寺院の住持をさしたが,のち皇族・貴族などの身分のある者が住持となっている寺院またはその住持をさした。江戸時代には,住持の出身により宮門跡・摂家門跡・准門跡に区別されたが,1871(明治4)年に廃止された。天台宗では妙法院・青蓮院・三千院・輪王寺,真言宗では仁和寺・大覚寺などが門跡寺院として有名。

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世界大百科事典(旧版)内の門跡の言及

【院家】より

…貴族(のちには皇族も含む)出身の僧侶およびその止住する寺をいう。899年(昌泰2)に宇多上皇が出家して仁和寺に入ってから門跡(もんぜき)の号が起こったというが,このとき上皇に従って出家した貴族で,寺内の子院に止住した人たちを院家衆と称し,平民出身の僧,すなわち凡僧でないしるしとした。以後,奈良,京都,比叡山,高野山などの門跡寺院には,門跡寺院の仏事や世俗のことを援助する院家があり,院家は学侶によって構成された。…

【延暦寺】より

…白河上皇が天下三不如意の一つとして〈山法師〉をあげたというのは,まさにこの時代の山門僧兵のことである。僧兵の横暴の反面,貴族化もすすみ,藤原師輔の息尋禅が良源の弟子となり,20世座主になってから,貴族・皇族の入寺がつづき,座主に貴族出身者が多くなって,やがて門跡(もんぜき)が成立する。まず梨本円融房(のちの梶井門跡),ついで青蓮(しようれん)院,やや遅れて妙法院曼殊院などの門跡が成立した。…

【住職】より

…また,由緒ある大寺院ではその寺固有の歴史的呼称もある。たとえば,皇室ゆかりの名刹では,平安時代から勅許によって門跡(門主)の称が許され,いわゆる門跡寺院が現れた。また,延暦寺は座主(ざす),園城(おんじよう)寺(三井寺)は長吏,東寺は長者,西大寺は長老,本願寺は法主(または門跡),東大寺,興福寺,法隆寺は別当,日蓮宗諸本山は貫主(かんじゆ)(貫首),近世の檀林などの宗学研鑚の寺では能化(のうけ),化主などと,その寺独自の呼称があった。…

【法主】より

…近世から近代にかけて,法主は本山の住職や一派の管長を指すのが一般的になった。《考信録》には,法主の同義語として,宗主,法王,禅主,法王主,門主,門跡の呼称をあげ,その出典を示している。しかし一般には,法主は宗主,門主,門跡と区別されず,併用されることが多かった。…

※「門跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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