関口開(読み)せきぐち・ひらく

朝日日本歴史人物事典 「関口開」の解説

関口開

没年:明治17.4.12(1884)
生年天保13.7(1842)
明治初期の数学者,教育者。金沢(加賀)藩士の臣松原信吾の子として金沢に生まれ,関口家の養子となる。実兄匠作と滝川秀蔵に和算を学ぶ。金沢藩が長州藩から招いた蘭学の戸倉伊八郎に学び,破門されたが,維新後は洋算に転じて独学微積分まで習得する。明治2(1869)年藩校の洋学教師となり,金沢の数学教育の中心人物として多くの弟子輩出。河合十太郎はそのひとり。明治初期の金沢の数学の水準の高さは彼に帰せられよう。関口は洋算家であるが,その指導法は和算的であった。明治6年の『新撰数学』は改版6回,総計22万部ものベストセラーとなった。<参考文献>日本科学史学会編『日本科学技術史大系』8巻,12巻

(佐藤賢一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関口開」の解説

関口開 せきぐち-ひらき

1842-1884 幕末-明治時代の数学者。
天保(てんぽう)13年6月29日生まれ。和算を滝川秀蔵に,西洋数学を戸倉伊八郎にまなび,石川県の師範学校などでおしえた。チェンバーの数学書を翻訳改訂し明治6年出版した「新撰数学」は十余年で22万部をかぞえた。明治17年4月12日死去。43歳。加賀(石川県)出身本姓は松原。名ははじめ安次郎,甚之丞(じんのじょう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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