八丈島の南約六五キロ、東京都心から南方約三五七キロに位置する島で、伊豆諸島最南端の島。
現在まで青ヶ島では考古学上の遺跡・遺物は発見されていない。保元の乱で敗れた源為朝は伊豆大島に流され、その地で死亡している。しかし後代の人々はこの不世出の英雄の死を認めようとはせず、青ヶ島にまで渡ったと信じている。古活字本「保元物語」では為朝は「鬼が島」にわたり、島の呼名を「蘆島」にかえたと記される。この鬼が島は青ヶ島にあてられているが、もちろん史実ではない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都,伊豆諸島八丈島南方約70kmにある島。一島で八丈支庁青ヶ島村をなし,面積5.98km2,人口201(2010)。伊豆諸島の中で居住のみられる最南端の島である。全島が玄武岩および安山岩よりなる複式成層火山で,最高点は外輪山の大凸部(おおとんぶ)で423m。外輪山内の火口原には比高約120mの中央火口丘丸山があって模型的な火山形態を示している。島の周囲は高さ100m余に及ぶ海食崖によって囲まれ,港湾の建設はさまたげられ,漁業はふるわない。上陸は北端の神子浦(みこうら)と南西端の三宝港に限られ,冬季は欠航することが多い。外輪山の外側北斜面に,西郷,休戸郷(やすんどごう)の2集落がほとんど相接して位置している。1785年(天明5)の丸山大噴火によって,全住民は八丈島南東部の末吉に避難して農耕を営んでいたため,青ヶ島は約50年間無人島となったが,1834年(天保5)に帰島して,現在の集落を形成した。外輪山の内側のカルデラ内には池ノ沢の集落があり,風当りが弱く,火口原の地熱で冬季も暖かい。完全な天水依存地域であったが,1980年ころから簡易水道が普及し,以後も施設の増設,整備が進められている。島の経済は製炭で支えられていたが,現在は肉用和牛の飼育やパッションフルーツの栽培に力が入れられている。長い間ランプを使っていたが,1968年ディーゼル発電による電灯がつき,テレビも普及している。また八丈島との間の航路のほか,1日1便のヘリコプター航路がある。明治時代700人余だった人口は減少が著しいが,近年Uターン現象がみられるようになった。
執筆者:大村 肇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東京都、伊豆諸島の最南端にある島。八丈支庁青ヶ島村に属す。八丈島の南約67キロメートルの海上に位置し、長軸3.5キロメートル、短軸2キロメートル、楕円(だえん)形をなす。二重式の活火山島である。面積5.97平方キロメートル。外輪山は玄武岩、中央火口丘は安山岩からなる。カルデラは直径1.5キロメートルで、外輪山の北西縁が島の最高点(423メートル)。噴火は爆発型で、1783~1785年(天明3~5)の大噴火では溶岩も流出。家屋はほとんど焼失し、死者約140人、生き残りの約200人は八丈島へ避難し、半世紀後にようやく帰島。数か所に噴気、地熱地域がある。島の周囲は高さ50~200メートルの海食崖(がい)で囲まれている。高温多雨の亜熱帯性気候の島である。人口157(2009)。
[菊池万雄・諏訪 彰]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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