高田せい子(読み)たかだせいこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高田せい子」の意味・わかりやすい解説

高田せい子
たかだせいこ
(1895―1977)

舞踊家。旧姓中村せい。金沢市に生まれる。東京音楽学校中退後、原せい子の芸名で帝劇歌劇部第四期生としてG・ローシー師事。1918年(大正7)第2期生の高田雅夫(まさお)(1895―1929)と結婚し、赤坂ローヤル館、根岸歌劇団に出演した。22~24年夫妻で欧米に巡演し、セント・デニスに師事、帰国後舞踊研究所を開いた。雅夫に死別後も『リヤマナと半獣神』『湖底の夢』『海のバラード』などの創作舞踊を上演石井漠(ばく)などとともに日本の現代舞踊の基礎を築いた。門下生に江口隆哉(たかや)、平岡斗南夫(となお)、山田五郎、志賀美也子らがいる。

市川 雅]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高田せい子」の意味・わかりやすい解説

高田せい子
たかだせいこ

[生]1900.9.13. 金沢
[没]1977.3.19. 東京
舞踊家。本名中村せい。 1916年東京音楽学校を中退,帝国劇場技芸学校洋劇部に入り,G.V.ローシーらに師事。赤坂ローヤル館,新星歌劇団などに出演し,22年夫高田雅夫とともにアメリカ,フランス,イギリスなどに留学。 28年高田の死後初めてのダンス・リサイタルを開いた。門下から江口隆哉,宮操子,益田隆らを輩出し,日本のモダン・ダンスの開拓者として大きな影響を与えた。作品に『エル・ドラド』『剣の舞』『溶鉱炉』『湖底の夢』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高田せい子」の解説

高田せい子 たかた-せいこ

1895-1977 大正-昭和時代の舞踊家。
明治28年9月13日生まれ。帝劇歌劇部でローシーにまなぶ。大正7年高田雅夫と結婚,ともに欧米に留学し,帰国後高田舞踊研究所をひらく。雅夫の死後も創作舞踊を発表しつづけ,戦後は門下の山田五郎と高田・山田舞踊団を主宰した。昭和52年3月19日死去。81歳。石川県出身。本名は中村せい。作品に「湖底の夢」「沈黙の苑」など。

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