鳥取(読み)とっとり

精選版 日本国語大辞典 「鳥取」の意味・読み・例文・類語

とっとり【鳥取】

[一] 鳥取県東部の地名。日本海に注ぐ千代(せんだい)川の下流域にある。天正元年(一五七三)山名氏の城下町となり、江戸時代は池田氏三二万石の城下町として繁栄。現在は県東部を後背地とする商工業都市。鳥取砂丘・鳥取城址などがある。県庁所在地。明治二二年(一八八九)市制。

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デジタル大辞泉 「鳥取」の意味・読み・例文・類語

とっとり【鳥取】

中国地方日本海に面する県。もとの因幡いなば伯耆ほうきの2国にあたる。人口58.8万(2010)。
鳥取県東部の市。県庁所在地。もと池田氏の城下町。商業・機械工業が盛ん。鳥取温泉鳥取砂丘がある。平成16年(2004)11月に周辺8町村を編入。人口19.7万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「鳥取」の意味・わかりやすい解説

鳥取[県] (とっとり)

基本情報
面積=3507.28km2(全国41位) 
人口(2010)=58万8667人(全国47位) 
人口密度(2010)=167.8人/km2(全国37位) 
市町村(2011.10)=4市14町1村 
県庁所在地=鳥取市(人口=19万7449人) 
県花=二十世紀ナシ 
県木ダイセンキャラボク 
県鳥=オシドリ

中国地方の北東部に位置する県。北は日本海に面し,東は兵庫県,南は岡山県,西は島根県,南西は広島県に接している。東西の長さ約170km,南北の幅は20~40kmで,東西に細長い県である。

県域はかつての因幡(いなば)・伯耆(ほうき)両国全域にあたり,ほぼ江戸全期を通じて池田氏の鳥取藩の支配下にあった。明治になって鳥取藩は支藩の鹿野・若桜(わかさ)両新田藩,および播磨国の福本藩(1868立藩)を吸収したが,71年(明治4)廃藩置県によって鳥取県となった。同年播磨国分を姫路県に分離し,島根県から隠岐国を併合したが,75年廃県となって島根県に合併された。80年因幡・伯耆両国をもって鳥取県が再置され,現在の県域が確定した。

米子平野倉吉平野それに鳥取平野など平野部を中心に,おもに弥生時代以降の遺構が分布することが特徴である。

 その中で目久美(めぐみ)遺跡(米子市)は縄文時代の遺物(爪形文土器,条痕文土器,玦状(けつじよう)耳飾など)も出すが,弥生前期を中心とする大規模な遺跡である。福市遺跡(米子市)は弥生後期から古墳時代にかけての竪穴住居址152をはじめ,古墳6,横穴14,土壙墓28などからなる。青木遺跡(米子市)も弥生時代から奈良時代にわたる住居,墳墓などを含む。西桂見遺跡(鳥取市)では全国で最大級とみられる弥生時代末の,日本海側に特有の,いわゆる四隅突出型墳が確認されている。角田(すみだ)遺跡(米子市)では,太陽,舟,家,森,鹿などをパノラマ式にへら描きした貴重な弥生中期の土器(大型甕)が出土している。

 古墳時代では,5基の前方後円墳などからなる馬山(うまのやま)古墳群(東伯郡湯梨浜町)が重要であるが,なかでも最大の4号墳は推定全長110mの前方後円墳で山陰前期古墳の代表例。国分寺古墳(倉吉市)も全長60mの前方後円墳で,舶載鏡や多くの鉄器をもつ4世紀後半の遺跡である。糸谷(いとや)古墳(鳥取市)も4世紀代で,ことに3号墳では石棺5,土坑墓2があり,1棺に4体などの合葬例があって注目される。長瀬高浜遺跡(東伯郡湯梨浜町)は,海岸砂丘下に埋もれていた特殊な遺跡として注目されていたが,調査の結果,弥生前期の土坑墓群から古墳時代前期~中期初頭の集落,中期の古墳群,中期前半ごろの祭祀址らしい埴輪群,さらに中世の墓地にわたる大遺跡であることが判明した。なかでも古墳時代中期の径33mの円墳(1号墳)は,墳頂に成人女性を被葬者とする石棺,墳丘周囲には幼児の小型石棺や円筒埴輪棺を配置するという珍しい構造をもつ。従来,山陰では鷺山古墳(鳥取市)のように魚文などを線刻で描く壁画古墳は知られていたが,終末期の円墳,梶山古墳(鳥取市)では,魚文,三角文,同心円文などが彩色で描かれている。この梶山古墳のすぐ近くにある6世紀から7世紀前半と目される石造遺構,〈岡益(おかます)の石堂〉(鳥取市)や石馬谷(いしうまだに)古墳(米子市)の〈石馬〉など,この地方独特の,大陸の影響をうかがわせる特殊な遺構も少なくない。陰田(いんだ)遺跡(米子市)は漢字らしい文字のへら書きされた6世紀後半ごろの須恵器が出土していて注目される。

 歴史時代では,和銅3年(710)10月などの年号の刻まれた銘をもつ鋺(わん)形蔵骨器で有名な伊福吉部徳足比売(いほきべのとこたりひめ)の墓(鳥取市),法隆寺式伽藍配置をもつ白鳳時代寺院址の斎尾(さいのお)廃寺(東伯郡琴浦町),同じく白鳳時代と思われるが,東面し,南に金堂,北に塔を置くやや特異な伽藍配置をもつ大寺(おおでら)廃寺(西伯郡伯耆町),それに康和5年(1103)銘のある銅製経筒をはじめ金銅菩薩像2,銅板線刻弥勒像1,銅鏡2,檜扇残片,刀子片,瑠璃玉,北宋銭2,漆器片などを出土したことで著名な一宮経塚(東伯郡湯梨浜町)などがある。
因幡国 →伯耆国
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県域の大部分を山地が占め,林野率は7割以上に達する。南部の岡山県との県境をなす中国山地は,日本海側では一般に急斜面が卓越するが,山頂部に多少の平たん部を有する。山頂部の標高は1000~1300m,扇ノ山(おうぎのせん)(1310m),氷ノ山(ひようのせん)(須賀ノ山。1510m),道後(どうご)山(1271m)など標高1200mを超える山が10座にのぼる。山地は杉,ヒノキなどの林業地として利用され,扇ノ山,氷ノ山,三国山などにはブナの自然林が残されている。

 県西部の大山(だいせん)は伯耆富士とも呼ばれ,中国地方随一の標高を誇る二重式火山で,直径30kmを超す雄大なすそ野を有している。山頂部は顕著な浸食作用によってやせ尾根となり,西日本には珍しいアルプス的な地形を示している。冬季,標高900m以上の山地では2mを超す積雪があり,火山斜面の多くは絶好のスキー場となる。大山から噴出した多量の火山灰は,広く県下の台地などを被覆しており,その表層は黒ボク土化している。黒ボク土は酸性のため土壌改良を必要とし,また風害や干害を受けやすかった。火山としては大山のほかに,東部の扇ノ山,氷ノ山,中部から西部にかけて蒜山(ひるぜん)などの火山がある。

 低地は砂丘,砂州,沖積平野からなる。海岸線に沿って大小さまざまの砂丘が分布しているが,とくに倉吉平野と鳥取平野の海岸部にある北条砂丘と鳥取砂丘は最も規模が大きく,内部に岩盤や大山ロームより古い古砂丘が伏在しているため,起伏に富んだ砂丘地形を形成している。弓ヶ浜は長さ17.5km,幅3~5km,日本最大の湾央砂州で,〈大天橋〉と称揚される。このように砂丘や砂州が発達したのは,砂礫化した山地の花コウ岩や安山岩が河川によって搬出され,また,たたら製鉄用の砂鉄を採取する際に生じる多量の土砂が流出したことによる。

 おもな沖積平野は,千代(せんだい)川下流の鳥取平野,天神川下流の倉吉平野,日野川下流の米子平野である。これらの沖積平野はかつては入江をなしていたが,砂丘や砂州の形成とともに潟湖となり,しだいに埋積されてきたものである。鳥取平野の湖山(こやま)池,倉吉平野の東郷池などは,そのような地形変遷のなごりである。したがって,自然堤防を除けば低湿地で,地盤が軟弱な場合が多い。

 鳥取県は,冬季と6月,7月,9月に降水量が多く,〈因幡の雨,伯耆の風〉といわれるように,とくに東部で山陰型気候が顕著である。最大積雪量は鳥取市の129cmに対して米子市が80cm,年降水量は鳥取市の2018mmに対して米子市は1875mmである。一方,米子平野は西の出雲平野と連続し,東には大山のなだらかなすそ野が広がっているため,冬季は西風が卓越する。鳥取市の年平均気温は14.3℃,県域が南北に狭小なため気温の地域差は少ない。

県内の産業別就業人口は第1次産業14.0%,第2次産業30.4%,第3次産業55.5%(1995)で,全国的にみて第1次,第3次産業への依存度が高い。農家総数は約4万戸であるが,専業農家は1割にすぎない。鳥取県の農業はもともと米作を中心としてきたが,基盤となる沖積平野の面積が小さく,その発展には限界があった。第2次世界大戦後,大山山麓の黒ボク土地帯や海岸砂丘地の開発が進み,果樹や野菜の栽培,畜産が急速に伸展した。とくに二十世紀梨の栽培と砂丘地を利用する砂地農業は,鳥取県の農業の特色をなす。すぐれた風味をもつ二十世紀梨は,1904年に導入されて以来,栽培面積が拡大し,生産量は全国の二十世紀梨の生産量の首位,48.2%(1992)を占める。広大な砂州や砂丘地は,江戸時代には綿作やサツマイモが栽培され,明治以後は桑園として利用されてきたが,砂防林の造成,スプリンクラーによる動力灌漑の導入によって多彩な集約的土地利用が可能になり,タバコ,ネギ,ラッキョウナガイモ,スイカ,ブドウなどの栽培が盛んに行われるようになった。鳥取県はかつては因伯牛の産地として知られたが,1957年を境に衰退し,代わって酪農,養豚,養鶏の比重が高まっている。林野は県域の3/4(1995)を占め,なかでも智頭(ちず)町は江戸時代以来,西日本有数の林業地で,製材工場が数多く立地している。かつて盛んだった木炭の生産は衰退し,近年は山村でシイタケ栽培が活発である。

 漁業の比重は農業に比べて著しく低い。大和堆(やまとたい)や隠岐堆などすぐれた漁場をひかえているが,良港に恵まれず,零細経営が多い。その中にあって境港(さかいみなと)は天然の良港で,古くから西廻海運の寄航地,および漁港として栄え,日本海有数の漁業基地となっている。出荷額の1位はイワシ,2位はアジ,3位はスルメイカ(1995)で,沖合漁業が漁獲量の9割以上を占め,沿岸漁業は零細である。

鉱業資源としてはクロム鉄鉱とウラン鉱がある。日南町多里のクロム鉄鉱山は,1900年ころ発見された日本の代表的なクロム鉄鉱床である。ウラン鉱は55年に岡山県境の人形峠付近で発見され,峠の岡山県側で粗製錬工場が操業している。

 鳥取県の製造品出荷額は全国出荷額の0.4%にすぎず,47都道府県中44位である(1995)。業種別出荷額は,1965年には食品が首位を占め,木林,家具,紙・パルプなどを含む軽工業が8割以上を占めていた。その後,電気機械企業の進出などによって軽工業対重化学工業の比率は逆転し,現在は電気機械が首位で約4割を占め,食品,繊維・衣服,紙・パルプ,木材・家具がこれにつづく。伝統産業としては因州紙で知られる和紙製造,因久山(いんきゆうざん)焼,牛戸(うしのと)焼,上神(かずわ)焼などの窯業,弓ヶ浜絣などがあるが,いずれも規模が小さい。

東,西,南を山に閉ざされ,北は日本海に面し,しかも境港以外は良港に恵まれなかったため,明治期に鉄道が開通するまでの県外との交通は海陸両路ともきわめて不便であった。山陰本線が余部(あまるべ)橋の完成によって結ばれたのが1912年,ついで陰陽連絡線として伯備線(1928),因美線(1932)が開通した。また,94年12月の智頭急行智頭線の開通により,京阪神への時間が短縮された。国道もこれらの鉄道路線とほぼ並行し,山陰道として古くから利用されてきた9号線が海岸線近くを東西に走り,鳥取と姫路を結ぶ29号線,鳥取と岡山を結ぶ180号線などがほぼ南北に通じる。92年12月には大山の西~南麓をまわる米子自動車道が開通した。このような交通の整備に伴って,阪神経済圏との結びつきが強まってきている。空港は米子と鳥取にあり,東京,大阪への航空路が開かれており,また米子~隠岐間(98年より休止)も開かれている。

 県の就業人口のうち,第3次産業が55.5%を占めていることからもうかがえるように,鳥取県の観光産業の比重は大きい。大山隠岐国立公園に含まれる大山火山群,山陰海岸国立公園に含まれる陸上(くがみ)鼻~鳥取砂丘の海岸部,氷ノ山後山那岐山国定公園に含まれる東部山岳地域,比婆道後帝釈国定公園に含まれる船通(せんつう)山,道後山など,すぐれた自然景観に恵まれている。また,岩井,皆生(かいけ),三朝(みささ)など10ヵ所にのぼる温泉地をかかえ,多くの保養客を集めている。

県域は並走する千代川,天神川,日野川の3河川を中心として東西に並ぶ3地域に分けられる。

(1)東部地域 旧因幡国全域からなり,鳥取市を中心に岩美郡,八頭(やず)郡からなる。面積,人口とも県の約4割を占め,3地域中の首位であるが,人口密度は山地が多いため全県平均より低い。産業別就業人口の構成比では,3地域中で第1次産業が最低で,第2次産業が最高という点に特色がある。県庁所在地の鳥取市は1617年(元和3)以来,池田氏の城下町として栄え,米子,松江と並ぶ山陰の中心的都市の一つである。かつては消費型都市であったが,1966年に電気機械工場が進出して以来,工業化が促進された。食品,木材,家具,衣服,繊維などの工業も盛んである。千代川周辺の沖積平野は米作を中心として,海岸部の砂丘地では,福部砂丘のラッキョウをはじめ,タバコ,イチゴ,野菜などが各砂丘で栽培されている。周辺の丘陵地や山地の斜面は県中部の湯梨浜町の旧東郷町周辺とともに二十世紀梨の全国的な産地の一つとなっている。智頭町を中心とする南東部の山村地域は西日本有数の林業地として知られる。東部地域の漁港は賀露(かろ),網代(あじろ)を中心とし,夏はイカ釣り,冬はマツバガニ漁が行われる。また岩井,鳥取,吉岡,浜村などの温泉を有し,観光・保養地としても重要であり,白兎(はくと),浦富(うらどめ)の各海岸は海水浴場として有名である。

(2)中部地域 旧伯耆国の東半部を占め,天神川流域を主とし,大山北東麓の小河川流域を含む。行政上は倉吉市を中心に,東伯郡の町からなり,面積,人口(ともに県の約2割),人口密度とも3地域中最下位である。この地域の第1次産業人口の構成比は3地域中最上位を占め,農業依存の傾向が強い。中心都市の倉吉市は室町時代の守護大名の城下町として発達し,藩政時代は陣屋がおかれ,伯耆東部を後背地とする商業町として栄えた。明治以降は和鋼を原材とする稲扱千歯(いなこきせんば)や倉吉絣の生産地であったが,いずれも大正期には衰退した。現在は食品,電気機械,繊維,衣服などの工業が行われている。農業は米作の比重が低く,畜産,果樹,野菜など多角的な経営が行われている。北条砂丘ではタバコ,ブドウ,ナガイモが栽培される。大山北東麓の黒ボク土に覆われた台地は畑地として利用され,スイカ,梨,芝の栽培が行われている。また酪農,養豚,養鶏も卓越し,一時衰退していた和牛の飼育も漸増している。観光資源としては,修験道場として知られる三徳(みとく)山参詣に利用されてきた三朝温泉,関金(せきがね)温泉,東郷池湖畔の羽合(はわい)温泉(旧,浅津温泉),東郷温泉がある。

(3)西部地域 旧伯耆国の西半分からなり,日野川流域を中心に,大山北西麓の小河川流域を含む。行政上は,米子市と境港市を中心に西伯郡,日野郡の町村からなる。面積は全県の34%,人口は40%で3地域中第2位であるが,人口密度は最も高い。米子市は中世の城下町で,藩政時代は鳥取藩の陣屋がおかれ,弓ヶ浜の畑作地帯のワタを原料とする木綿,絣,日野郡特産の和鉄の集散地として栄えた。明治中期以後,その恵まれた立地条件によって山陰随一の商工業都市として発展,〈山陰の大阪〉と呼ばれた。近年は中海新産業都市の中核として,食品,木材,木製品,パルプ,繊維,鉄鋼,家電用モーターなどの工業が立地している。弓ヶ浜半島の北半部を占める境港市は,日本海屈指の漁港として,また貿易港として栄えている。この地域の農牧業は,米作を主とし林業を従とする南部地区,畜産を主とし集約的農業を営む北部地区,弓ヶ浜を中心にタバコ,ネギなど多角的な砂地農業を行う米子・境港両市近郊地区の3地域に大別される。観光資源としては大山,船通山,道後山などの景勝地を擁し,皆生温泉がその基地的性格をもっている。
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鳥取[市] (とっとり)

鳥取県東部に位置する県庁所在都市。2004年11月旧鳥取市が周辺の青谷(あおや),河原(かわはら),気高(けたか),国府(こくふ),鹿野(しかの),用瀬(もちがせ)の6町と佐治(さじ),福部(ふくべ)の2村を編入して成立した。人口19万7449(2010)。

鳥取市北西端の旧町。旧気高郡所属。人口8095(2000)。日本海に面し,町域の三方を中国山地の山々に囲まれて勝部・日置両川沿いの谷と合流点付近の平野部に集落が分布する。中心の青谷は両河谷の集落を後背地に発展した谷口集落で,《延喜式》の柏尾駅の所在地と推定されている。天正年間(1573-92)は亀井氏領の外港として朱印船貿易が行われ,江戸時代は宿場町,藩倉所在地として栄えた。現在は旧鳥取市と倉吉市の中間にあって商業も盛ん。平たん地での米作と山麓の梨栽培を中心とする農業が基幹産業で,日置川上流の山根,早牛は伝統的な因州紙の産地である。日本海に突出した大海食崖の長尾岬は釣りの好適地で,夏泊は海女の村である。国道9号線(旧山陰街道),JR山陰本線が通る。

鳥取市中部南寄りの旧町。旧八頭(やず)郡所属。人口8382(2000)。町域には中国山地の山地帯が広く分布し,北東部で曳田(ひけた)川,八頭川が千代(せんだい)川に合流,合流点付近に中心集落の河原がある。河原の地名ははんらん原に立地したことに由来し,千代川の渡河集落として発達,江戸時代には上の茶屋と呼ばれた。千代川西岸には慶長年間(1596-1615)に着工された大井手川用水の取水口があり,樋口神社がまつられている。アユ漁,酒造が盛んで,散岐(さんき)・国英(くにふさ)地区の山麓部では御所柿,二十世紀梨の栽培が行われる。民芸陶器牛戸焼の特産がある。曳田川上流は三滝渓の景勝地で,曳田は《古事記》記載の八上比売と白兎の伝説の地といわれる。JR因美線,国道53号線が通じる。
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鳥取市北西部の旧町。旧気高郡所属。1955年浜村町と宝木,酒津,瑞穂,逢坂の4村が合体,改称。人口1万0004(2000)。日本海に面し,平滑な海岸に沿って浜村,宝木の砂丘があり,その南側には低湿な沖積平野や日光池,水尻池などの潟湖がみられる。中心の浜村は砂丘裏にある浜村温泉を核とした集落で,JR山陰本線浜村駅南側の勝見温泉(16世紀初めに開湯とされる)と北側の浜村温泉(1885年発見)からなり,明治末の鉄道開通以来,大きく発展した。単純泉,69℃。湯量が豊富で温泉プールもある。主産業は砂丘地での二十世紀梨,ブドウなどの果樹やタバコ,ラッキョウの栽培のほか,酒津,船津の2漁港を利用した沖合漁業である。民謡《貝殻節》は,かつて沖合でイタヤガイ漁が盛んであった際に歌われた労働歌で,今も広く愛誦されている。
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鳥取市東部の旧町。旧岩美郡所属。人口8620(2000)。千代川支流の袋川流域に位置し,町域は扇ノ山(おうぎのせん)西麓の山地と鳥取平野の一部をなす低地からなる。古代から中世にかけて因幡国の政治・文化の中心地で,国府や国分寺が置かれ,今も庁,国分寺,法花寺などの字名が残る。平野部には条里遺構がみられ,推定国分寺跡,因幡一宮の宇倍神社,伊福吉部徳足比売墓跡(史)などがある。農林業を基幹産業とするが,旧鳥取市に隣接する西部では旧鳥取市への通勤者も多く都市化が進む。扇ノ山一帯は氷ノ山後山那岐山国定公園に含まれ,雨滝がある。学行院の木造薬師如来,吉祥天立像などは重要文化財に指定されている。
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鳥取市南西端の旧村。旧八頭郡所属。佐治川に沿って東西に細長くのびる。人口2835(2000)。近世前期に佐治郷22ヵ村では特産としての因州和紙の製造が盛んで,盛時には紙すき農家が200軒をこえた。昭和に入って減少し,現在は協同組合による書道用紙の生産に活路を見いだしている。果樹,とくに二十世紀梨の生産が多い。佐治川中流域では,庭石や水石とされる佐治石を産するが,現在は自然保護条例によって採石が禁じられている。三原高原,猿渡り渓谷,山王(三王)滝や原生林など景勝に富むので,レクリエーション地区としての発展がはかられつつある。
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鳥取市西部の旧町。旧気高郡所属。人口4594(2000)。河内川上流域に位置し,旧鳥取市の西に接する。町域は大山火山帯に属する鷲峰(じゆうぼう)山のすそ野に広がり,北部に低地が開ける。中心集落の鹿野は交通・軍事上の要地にあたり,中世は志加奴氏が支配したが,戦国時代には山名,尼子,毛利各氏の争奪の地となった。1580-1617年(天正8-元和3)の間は亀井氏の城下町であったが,以後は鳥取藩領となり,城も破却された。明治中期から大正にかけて製紙や製糸が盛んであったが,第2次大戦後衰退した。米作,果樹園芸,畜産などの農業を基幹産業とし,林業も盛んである。鹿野笠,民芸能面,うちわの特産がある。鷲峰山北麓には鹿野温泉(国民温泉。単純泉,55~72℃)がある。
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鳥取市中北部の旧市で県庁所在都市。1889年市制。人口15万0439(2000)。市域は千代川下流部の鳥取平野と周辺の山地からなり,県の政治,経済,文化の中心的役割を果たしている。千代川東岸の低湿な三角州に位置する中心市街地は,近世には池田氏の城下町で,袋川下流部の河道を付け替え,池沼などを埋め立てて形成された。1871年鳥取県が成立したが,75年からの5年間は県全体が島根県の管轄下におかれ,松江に中心が移ったため,鳥取の町は一時さびれた。80年鳥取県が再置されて県庁所在地となり,再び発展した。96年岩倉に歩兵第40連隊が誘致され,1920年には鳥取高等農林学校(のちの鳥取大学)が創設された。1912年山陰本線,32年因美線が全通し,大正期から第2次大戦前までは蚕糸業や木工業が盛んとなった。戦後,鳥取大学が湖山地区に統合・移転し,その跡地に66年三洋電機が誘致された。以来工業化が進み,電気機器,金属,機械などが県の製造品出荷額の42.6%(1995)を占めている。農業は米作のほか,砂丘地におけるブドウ栽培,山麓部での二十世紀梨の栽培が盛んである。

 旧鳥取市は災害の多い都市で,千代川やその東部を流れる支流袋川のはんらんによる水害が毎年のようにあったのも,地盤の低い地形環境を反映している。1943年には鳥取地震で倒壊家屋4500戸以上,死者1000人以上という大被害をうけた。52年におこった鳥取大火では,市の中心部がすべて灰となった。このようなたびたびの災害を教訓として,都市の不燃化,千代川や袋川の改修,排水溝とポンプ場の設置,下水道の整備などの対策がすすめられた。鳥取砂丘湖山池,久松山と鳥取城跡(史),鳥取温泉,吉岡温泉などの観光地がある。
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古代の因幡国邑美(おうみ)郡鳥取郷は,江戸時代に池田光政が河道を付け替える以前の旧袋川(湊川)より内側の,久松山(きゆうしようざん)麓を中心とする地域に位置したと推定され,中世には鳥執とも記された。中世において鳥取郷(荘)の存在を史料によって確認することはできず,鳥取が一つの所領単位を構成していたかどうかは明らかでない。中世に鳥取なる地名が広く用いられるようになるのは,1545年(天文14)布施天神山城主山名誠通が久松山に城を築いてからのことで,これ以後久松山は鳥取山,城下を流れる袋川は鳥取河とも呼ばれるようになった。鳥取城には当初,武田氏が拠って城を整備したといわれるが,鳥取城およびその城下が本格的に整備され栄えるようになるのは,73年(天正1)の冬に山名豊国がここを本城としてからのことである。鳥取城は80年と翌年の2回にわたる羽柴(豊臣)秀吉軍の攻撃を受けて落ちたが,この城の占める政治的・軍事的位置の重要性が鳥取なる地名を定着させたものといえよう。
執筆者: 1581年に秀吉が鳥取城を攻略した後,但馬豊岡から城主として移封した宮部継潤(けいじゆん)は,上美(うわみ)(邑美),法美,八上,高草の4郡計4万3600石と但馬国二方郡7370石の合計5万0970石を領知し,城郭を強化し城下町を整備した。しかし継潤は秀吉に従って鳥取不在のことが多く,その養子長煕(ながひろ)(元房)が領内を取りしきった。継潤の没後,1600年(慶長5)の関ヶ原の戦で長煕は西軍に属したため改易となり,鳥取城は東軍側の鹿野城主亀井茲矩(これのり)らの軍勢によって接収され,翌01年新たに池田備中守長吉が巨濃(この),邑美,法美,八上の4郡6万石をあてがわれ鳥取に入部した。山上の本丸天守閣の改築や城郭の拡張を行い,亀井氏の軍勢の鳥取城接収の小ぜりあいで焼かれた町の修復などの工事もした。また,鳥取の外港賀露(かろ)の地を亀井茲矩との領地交換によって支配下に収め,その整備・活用によって城下町の繁栄をはかった。このほか,千代川の堤防の強化を行い,領民を洪水の災害から守ったと伝えられる。17年(元和3)池田光政が播磨国姫路から鳥取に転封され,因幡・伯耆両国32万石を支配することになり,多数の家臣たちと入部し,やがて城郭の整備や,城下町とくに侍町の拡張を行った。旧袋川の南方に新たに河道を掘削して,それを袋川とし,城の外構すなわち防御用の堀および城下町と外港賀露との運河の役割を果たさせることにし,城郭に接近していた寺院・町家をその土手の近くに移し,跡地は侍町(武家屋敷)とした。光政の治政15年ののち,32年(寛永9)備前岡山城主池田光仲が,従兄にあたる光政と交替して転封し鳥取城主となり,以後12代慶徳まで因・伯両国を支配した。入部のとき,小者らを含む家臣ら約2800人(《保定纂要》巻二)とその家族,慶安寺など寺院や御用達商人などが随従した。

 鳥取城下の武家人口は寛延(1748-51)ごろ約2万人,1870年(明治3)には士族・卒族とその家族あわせて3万2810人で,町家人口は1749年1万3125人,1810年(文化7)1万0228人,46年(弘化3)1万1440人,69年1万1574人であった。町数は1634年(寛永11)40,1778年(安永7)48で,町割りは大手を基点とする智頭(ちず)街道を基線に,西の鹿野街道,東の若桜(わかさ)街道が並行して南北方向にそれぞれ走り,それらに直交して東西に走る元大工町,上魚町,片原一丁目~同三丁目,本町一丁目~同四丁目などの町々があった。また前後約17回にもおよぶ大火があり,1724年(享保9)の黒川火事は最大の被害(焼失町数34,家数1065,竈数2651,侍屋敷数111,寺数2)を出し,1819年(文政2)の大路屋火事の被害(焼失町数14,家数およそ429,竈数およそ429,侍屋敷数8)も大きかった。町政組織としては町奉行(2名)のもとに,自治が許されて惣町を管轄する町年寄(2~4名)とそれを補佐する町代,各町の代表として町政にあずかる目代(1名)があった。
鳥取藩
執筆者:

鳥取市北東端の旧村で,日本海に面する。旧岩美郡所属。人口3451(2000)。村域は鳥取砂丘の一部をなす福部砂丘,沼沢地を干拓してできた低湿水田地帯,東部・南部の山地からなる。直浪(すくなみ)遺跡,栗谷遺跡など縄文~古墳時代の遺跡が多い。古くから開発が進み,古代は《和名抄》記載の服部郷の地で,中世には服部荘が成立し,江戸中期以降細川池,湯山池などの干拓が進んだ。農業が主産業で,砂丘ではラッキョウ栽培,山麓部では二十世紀梨の栽培が盛んである。海士(あもう)と県(あがた)がラッキョウ栽培の中心で加工場がある。沿岸部一帯は山陰海岸国立公園に含まれる。国道9号線,JR山陰本線が通る。

鳥取市南端の旧町。旧八頭郡所属。人口4324(2000)。千代川中流域に位置し,町域には中国山地に属する山地が広く分布する。中心の用瀬は千代川と支流佐治川との合流点に形成された谷口集落であり,近世には上方往来の街道筋に当たる宿場町として栄えた。高瀬舟水運の起点でもあり,2・7の六斎市も開かれた。農林業が主産業で,山林開発が進められ,製材業が行われる。かつては柳行李と茶の特産があり,金屋では鋳物製造が行われた。国道53号線,JR因美線が通じる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥取」の意味・わかりやすい解説

鳥取
とっとり

北海道東部、釧路(くしろ)市の一地区。1949年(昭和24)釧路市に合併。1884年(明治17)から翌年にかけて、鳥取士族105戸、513人が入植し、開拓に従事したことから、この地名が生まれた。大正年間から製紙工場も置かれた。釧路川西岸一帯を占め、現在の釧路市街地の一部を構成している。

[進藤賢一]

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世界大百科事典(旧版)内の鳥取の言及

【賀露】より

…因幡国(鳥取県)高草郡に属し,千代川河口の港。《三代実録》に861年(貞観3)賀露神に従五位下を授くとあり,《因幡堂縁起》によれば997年(長徳3)賀留の沖で薬師如来像が漁網にかかり,海中から引き揚げられ,因幡守橘行平によってまつられたという。…

【鳥取[県]】より

…面積=3507.01km2(全国41位)人口(1995)=61万4929人(全国47位)人口密度(1995)=175人/km2(全国37位)市町村(1997.4)=4市31町4村県庁所在地=鳥取市(人口=14万6330人)県花=二十世紀ナシ 県木=ダイセンキャラボク 県鳥=オシドリ中国地方の北東部に位置する県。北は日本海に面し,東は兵庫県,南は岡山県,西は島根県,南西は広島県に接している。…

※「鳥取」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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