日本航空(株)(読み)にっぽんこうくう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本航空(株)」の意味・わかりやすい解説

日本航空(株)
にっぽんこうくう

日本の航空会社。持株会社日本航空Japan Airlines Corporationと、国際線と国内線を運航する航空運送事業会社の日本航空インターナショナルJapan Airlines International Co.,Ltd.よりなり、多くの関連会社を含めてJAL(ジャル)グループを形成する。2008年(平成20)現在、日本航空の資本金2510億円、従業員数10人。日本航空インターナショナルの資本金1000億円、従業員数1万6671人。

 1951年(昭和26)国内航空運送事業令によって設立された日本航空(旧日本航空)が前身。当初ノースウェスト航空に委託運航していたが、翌年10月から自主運航を開始、1953年10月に日本航空株式会社法(日航法)に基づき、当時としては日本唯一の国際定期航空会社として設立された特殊法人に全営業を継承した。1954年にサンフランシスコ線を開設したのち、先発の海外航空会社との厳しい競争のなか路線と便数の拡充に努め、1955年以降東南アジア線、太平洋線、ヨーロッパ線、1967年には世界一周線、さらにモスクワ線、日中路線など相次ぎ開設し世界的航空網を形成。この間1960年にDC‐8をサンフランシスコ線に就航させたのをはじめ、国際線、国内線のジェット機化を進め、1970年にはジャンボジェット機ボーイング747を採用して航空機の大型化を図った。1965年には団体海外旅行ジャルパックを発売して海外旅行の大衆化を急速に進展させた。

 その後、規制緩和の流れを受けて、1987年9月に日航法が廃止され、同年11月には完全民営化された。航空関連業務を中心に経営を多角化、日本トランスオーシャン航空(JTA、1967)、日本アジア航空(JAA、1975)、空港宅配サービスのエイビーシースカイパートナーズ(ABC、1977)、航空運送事業のJALウェイズ(JALways、1990)、JALエクスプレス(JEX、1997)などを設立し、JALグループを形成した。

 2002年10月、日本エアシステムと持株会社「日本航空システム」(資本金1000億円)を設立し、その傘下に入る。2004年日本エアシステムと完全統合。同時に日本航空は国際線を運航する日本航空インターナショナルに、日本エアシステムは国内線を運航する日本航空ジャパンにそれぞれ名称を変更した。また、同年6月に持株会社の日本航空システムも名称を日本航空に変更した。2006年には日本航空インターナショナルと日本航空ジャパンを統合、社名を日本航空インターナショナルとした。

 2007年度の旅客輸送実績は国際線1336万7904人、国内線4190万4924人、売上高(グループ連結)2兆2304億円、従業員数(グループ連結)5万1497人。2008年6月現在、国内線は60空港154路線に就航、国際線は34か国・地域に乗り入れ、156空港283路線(旅客便246、貨物便37)に就航、所有機数は166機。

[中村清司]

 国内1位の航空会社であったが、2001年に起きたアメリカ同時多発テロ、2008年の世界金融危機、また、感染症の流行(重症急性呼吸器症候群SARS(サーズ))やブタインフルエンザ)等による国際線需要の低下や燃油価格の高騰、さらにはリストラクチャリングへの取り組みの遅れ、たび重なる運行トラブルによる信用の低下が加わり経営が悪化した。政府の要請に従い就航した採算のとれない路線を多く抱えていたことも赤字拡大の背景にある。2010年1月に会社更生法適用の申請を行い、企業再生支援機構の支援を受けることになり、同年2月には東京・大阪・名古屋証券取引所第一部における上場廃止。12月、管財人による更生計画に基づいて機構から3500億円の出資を受け、再建を開始した。翌2011年3月、更生債権等を弁済し、裁判所による会社更生手続終結が決定。同年4月、商号を日本航空インターナショナルから日本航空に変更し、2012年9月には東京証券取引所第一部に再上場、機構の持ち株を処分し、機構による支援は完了した。

[編集部]

『日本航空株式会社統計資料部編・刊『日本航空社史(30年史)』(1985)』

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