藤原宇合(読み)ふじわらのうまかい

精選版 日本国語大辞典 「藤原宇合」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐うまかい【藤原宇合】

奈良時代の公卿。式家の祖。不比等の第三子。養老元年(七一七)遣唐副使として入唐。神亀元年(七二四持節大将軍として蝦夷の反乱を平定。のち西海道節度使となったが、疫病死亡。持統八~天平九年(六九四‐七三七

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デジタル大辞泉 「藤原宇合」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐うまかい〔ふぢはら‐うまかひ〕【藤原宇合】

[694~737]奈良前期の公卿。式家の祖。不比等ふひとの三男。名は馬養うまかいとも書く。遣唐副使として渡唐。帰国後、蝦夷えぞの反乱を平定。

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百科事典マイペディア 「藤原宇合」の意味・わかりやすい解説

藤原宇合【ふじわらのうまかい】

奈良前期の高官。不比等(ふひと)の子。式家(しきけ)の祖。717年遣唐副使として入唐。帰国後,常陸(ひたち)守,式部卿(しきぶきょう)を経て,蝦夷(えみし)征伐を担当,731年参議。《万葉集》《懐風藻(かいふうそう)》に作品がある。常陸守時代の下僚に高橋虫麻呂があり,《常陸国風土記》の完成に関係。→藤原氏藤原四家
→関連項目藤原種継藤原広嗣藤原百川

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改訂新版 世界大百科事典 「藤原宇合」の意味・わかりやすい解説

藤原宇合 (ふじわらのうまかい)
生没年:694?-737(持統8?-天平9)

奈良時代前期の官人。馬養とも書く。藤原式家の祖。不比等の三男で弟の麻呂より1歳年長となる。広嗣,良継,田麻呂,百川,蔵下麻呂,清成,綱手らの父。716年(霊亀2)8月遣唐副使に任じられ(押使は多治比県守翌年入唐した。724年(神亀1)には持節大将軍として蝦夷に出陣,726年10月知造難波宮事に任じられ難波宮造営工事を遂行した。731年(天平3)8月弟の麻呂とともに諸司の挙によって参議に昇り,732年8月西海道節度使に任じられ,《続日本紀》宝亀11年(780)7月丁丑条によると,その在任中に西海道諸国が対外防備にあたる際の警固のための式を作ったという。737年8月天然痘の流行により房前,麻呂,武智麻呂につづいて死亡した。時に参議式部卿兼大宰帥正三位。《公卿補任》《尊卑分脈》によると没年は44歳。《万葉集》《懐風藻》に作品がみえ,《経国集》にも〈棗賦〉1首が収められている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原宇合」の意味・わかりやすい解説

藤原宇合
ふじわらのうまかい
(694―737)

奈良初期の政治家。不比等(ふひと)の三男。母は右大臣蘇我武羅自古(そがのむらじこ)の女(むすめ)娼子(しょうし)。式家(しきけ)の祖。馬養とも書く。716年(霊亀2)遣唐副使となり従(じゅ)五位下に叙される。717年(養老1)多治比県守(たじひのあがたもり)らと渡唐、翌年10月帰国。その後常陸守(ひたちのかみ)を経て式部卿(しきぶきょう)に任ぜられる(式家の名のおこり)。724年(神亀1)蝦夷(えみし)の反乱に際し、持節大将軍としてこれを討ち、翌年勲二等を与えられた。また726年から知造(ちぞう)難波宮事(なにわぐうじ)として難波宮の造営にあたり、731年(天平3)参議、畿内(きない)副惣管(そうかん)、さらに翌年には西海道(さいかいどう)節度使に任命され大宰帥(だざいのそち)を兼ねた。734年正三位(さんみ)となったが、737年8月全国的に流行した天然痘のために没した。文武両道に通じ、家集二巻を残している。

[平田耿二]

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朝日日本歴史人物事典 「藤原宇合」の解説

藤原宇合

没年:天平9.8.5(737.9.3)
生年:持統8(694)
奈良時代の官人。不比等の第3子,母は蘇我武羅自古の娘といわれる。名は馬養とも書く。式家の祖。霊亀2(715)年,遣唐副使として入唐。帰国ののち,養老3(719)年常陸守で安房,上総,下総3国の按察使,この間『常陸国風土記』の編述を指導したらしい。神亀1(724)年,蝦夷が挙兵するや式部卿のまま持節大将軍に任命され平定に当たった。同3年,知造難波宮事を兼ねた。同6年2月,長屋王の変に際し兵を率いてその宅を囲む。天平3(731)年8月,参議となり,11月畿内副惣管,翌4年8月西海道節度使の任についた。参議式部卿兼大宰帥正三位で病没した。式家の名は式部卿に由来する。「軍国の務に経営すとも,特に心を文藻に留め,天平の際,独り翰墨の宗たり」との評がある。

(井上勲)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原宇合」の意味・わかりやすい解説

藤原宇合
ふじわらのうまかい

[生]持統8(694)
[没]天平9(737).8.5.
奈良時代初期の廷臣。贈太政大臣藤原不比等の3男。母は蘇我武羅自古の娘。本名は馬養。藤原4家の一つ式家の始祖 (式家の称は式部卿から出たもの) 。霊亀2 (716) 年遣唐副使に任命され,入唐。帰朝後の養老3 (719) 年正五位上,次いで常陸守として安房,上総,下総の3国の按察使となった。同5年正四位上,神亀1 (724) 年式部卿で持節大将軍となり,征夷のため下向。その功により,翌年従三位勲二等を授けられた。難波宮を造営し天平3 (731) 年に参議,畿内副惣管となり,翌年に西海道節度使,同6年正三位に昇ったが,3年ののち痘瘡にかかり没した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原宇合」の解説

藤原宇合 ふじわらの-うまかい

694-737 奈良時代の公卿(くぎょう)。
持統天皇8年生まれ。藤原不比等(ふひと)の3男。母は蘇我連子(むらじこ)の娘娼子。式家の祖。霊亀3年(717)遣唐(けんとう)副使として入唐(にっとう),翌年帰国。常陸守(ひたちのかみ),式部卿を歴任,神亀(じんき)元年(724)持節大将軍となり蝦夷(えみし)を討つ。3年知造難波宮事。没時は参議,式部卿兼大宰帥(だざいのそち),正三位。歌や詩が「万葉集」「懐風藻」にのこる。天平(てんぴょう)9年8月5日死去。44歳。初名は馬養。
【格言など】玉藻刈る沖辺は漕がじしきたへの枕のあたり忘れかねつも(「万葉集」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「藤原宇合」の解説

藤原宇合
ふじわらのうまかい

694~737.8.5

馬養とも。奈良前期の公卿。不比等(ふひと)の第三子。母は蘇我連子(むらじこ)の女娼子。式家の祖。716年(霊亀2)遣唐副使に任じられ従五位下を特授される。718年(養老2)帰朝。常陸守・式部卿を歴任し,725年(神亀2)征夷の功で従三位・勲三等に叙され,731年(天平3)参議となる。長屋王の変で王邸を包囲するなど武事で活躍したが,737年天然痘により死去。「懐風藻」「万葉集」に詩歌が収められ,文才にも秀でた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「藤原宇合」の解説

藤原宇合
ふじわらのうまかい

694〜737
奈良前期の公卿。式家の祖
式家の名は,式部卿の官名による。不比等の3男。参議。正三位。717年遣唐副使として多治比県守 (たじひのあがたもり) らと渡唐。帰国後征夷持節大使として陸奥の蝦夷 (えみし) 征討に従事し,のち畿内副惣管・西海道節度使となり,大宰帥 (だざいのそち) を兼ねた。

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世界大百科事典(旧版)内の藤原宇合の言及

【藤原氏】より

…日本の代表的な貴族。大化改新後の天智朝に中臣氏から出て,奈良時代には朝廷で最も有力な氏となり,平安時代に入るとそのなかの北家(ほくけ)が摂政や関白を独占し歴代天皇の外戚となって,平安時代の中期は藤原時代ともよばれるほどに繁栄した。鎌倉時代からはそれが近衛(このえ)家二条家一条家九条家鷹司(たかつかさ)家の五摂家に分かれたが,以後も近代初頭に至るまで,数多くの支流を含む一族全体が朝廷では圧倒的な地位を維持し続けた。…

【藤原不比等】より

…奈良時代初期の重臣。史(ふひと)とも表記。鎌足の次男で,母は車持君国子(くるまもちのきみくにこ)の娘の与志古(よしこ)。幼時は山科(京都市山科区)の田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ)の家で育ったので,史と名づけられたという。父の死後3年目に起こった壬申の乱では,田辺一族から近江方の将軍となった者も出たが,不比等自身はまだ少年であったし,乱後の天武朝には,姉妹の氷上(ひかみ)や五百重(いおえ)が天武夫人(ぶにん)としてそれぞれ但馬(たじま)皇女や新田部皇子を生んだためもあって,順調に官途を歩みだしたらしく,持統朝で判事(はんじ)に任命されたときには,数え年31歳で直広肆(じきこうし)(従五位下相当)に昇っていた。…

※「藤原宇合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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