世界大百科事典(旧版)内の《哲学書簡》(チャアダーエフ)の言及
【チャアダーエフ】より
…23年7月からまる3年にわたってイギリス,フランス,スイス,イタリア,ドイツを旅し,カールスバート(現,チェコのカルロビ・バリ)では哲学者シェリングを訪問した。26年に帰国後,29年から31年にかけて8編からなる《哲学書簡Lettres philosophiques》をフランス語で執筆,36年その第1書簡のロシア語訳が雑誌《テレスコープTeleskop》に発表されて,識者に一大衝撃を与えた。それは,彼がこの中でロシアの過去と現在を徹底的に批判し,その未来を否定したからであった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」