世界大百科事典(旧版)内の《売られた花嫁》の言及
【スメタナ】より
…56年から5年間はスウェーデンのイェーテボリ市の音楽協会〈ハーモニー協会〉の指揮者を務めた。61年帰国ののちは,再び大きな盛上がりをみせていたチェコの民族運動の音楽的スポークスマンとして大活躍を始め,チェコ人のための国民劇場完成までの仮劇場のために,《チェコのブランデンブルク人》(1863)や《ダリボル》(1867)のようなナショナリズムを鼓吹した愛国的なオペラを作曲,また,理想化されたチェコの農村の姿をミュージカル・コメディ風に描いた《売られた花嫁》(1866。1870改訂)の大成功によって,仮劇場の首席指揮者の地位も手中に収めた。…
※「《売られた花嫁》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」