いなべ

精選版 日本国語大辞典 「いなべ」の意味・読み・例文・類語

いなべ

三重県北端の地名養老山地鈴鹿山脈の間、員弁(いなべ)川上流域を占める。三岐(さんぎ)鉄道三岐線・北勢線が通じる。平成一五年(二〇〇三)員弁郡員弁町、北勢(ほくせい)町、大安(だいあん)町、藤原町合併市制

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改訂新版 世界大百科事典 「いなべ」の意味・わかりやすい解説

いなべ[市]

三重県北端の市。2003年12月員弁(いなべ),大安(だいあん),藤原(ふじわら),北勢(ほくせい)の4町が合体して成立した。人口4万5684(2010)。

いなべ市南東部の旧町。旧員弁郡所属。人口8687(2000)。北東部の養老山地西麓の扇状地と南西部の員弁川沿いの沖積平野からなり,集落は南西部の河岸段丘上に発達する。中心集落の楚原は中世には伊勢神宮領の曾原御厨が設けられた所で,明治に入って員弁郡役所が置かれ,現在もいなべ市の中心となっている。基幹産業は農業で,米作を中心に養鶏畜産が行われている。近年,上笠田地区に工業団地が造成され,工業開発とともに都市近郊農村への脱皮がはかられている。員弁川北岸の北野遺跡からは縄文前期~奈良時代の遺物が出土している。ほかに岡古墳群もある。三岐鉄道線が通じる。

いなべ市南部の旧町。旧員弁郡所属。人口1万5186(2000)。町域の西部は竜ヶ岳を含む鈴鹿山脈の山地で,東部は員弁川の沖積平野である。鈴鹿山脈山麓の扇状地では,マンボと呼ばれる横井戸が掘られ利用されている。《和名抄》記載の笠間・石加両郷の地で,町名は古代に奈良大安寺の寺領であったことに由来する。農業が主産業で北勢の穀倉地帯であり,ほかに酪農,茶栽培が行われる。近年,工業団地の造成とともに工場が進出し,また四日市市方面への通勤者が増加していることもあって,人口は微増している。西部山地は鈴鹿国定公園に含まれ,員弁川の支流,宇賀川上流部の宇賀渓は四季の変化に富む景勝地として知られる。三岐鉄道線,国道306号,365号,421号線が通じる。

いなべ市北西部の旧町。旧員弁郡所属。人口7314(2000)。北は岐阜県,西は滋賀県に接する。北東は養老山地,南西は鈴鹿山脈に属する山地で,南東部は員弁川の谷底平野となっている。西部の藤原岳,御池岳周辺は石灰岩地域特有のカルスト地形がみられる。中世は東禅寺御厨(みくりや),饗庭(あえば)御厨,志礼石(しれいし)御厨など伊勢神宮の御厨が置かれていた。江戸時代は桑名藩領。員弁川西岸の白瀬野(しらせの)は開発されて1812年(文化9)志礼石新田となった。米作のほか畜産,シイタケ栽培が行われるが,藤原岳周辺の豊富な石灰石により1919年にはカルシウム工場(1974年閉鎖),32年にはセメント工場が進出,主要産業となっている。北部には三重用水の中里ダムがある。西部山地は鈴鹿国定公園に含まれる。三岐鉄道,国道306号,365号線が通じる。

いなべ市中北部の旧町。旧員弁郡所属。人口1万4443(2000)。町域の大半は山地,丘陵地で占められ,員弁川流域に河谷平野が開ける。北東部は養老山地の分水嶺で岐阜県と境し,南西部は鈴鹿山脈を隔てて滋賀県と接する。中世には伊勢神宮領の阿下喜(あげき)御厨,治田(はつた)御厨,麻生田(おうだ)御厨などが置かれていた。町域西端,治田峠の東麓付近一帯は,かつて銀,銅を産し,鉱山町が栄えた。1615年(元和1)徳川秀忠の娘千姫が桑名の本多忠刻に再嫁した際,治田鉱山はその化粧料にあてられている。中心集落の阿下喜は員弁川上流域の谷口集落で,員弁郡北部の物資集散地として発展し,桑名までの舟運もあった。近鉄(現,三岐鉄道)北勢線の終点にあたる。米作を中心に,茶や果樹栽培,養鶏,畜産などが行われるが,工場の進出も進む。南西部の山岳地帯は鈴鹿国定公園に含まれ,青川峡,多志田峡は景勝地で,キャンプ場としても利用される。北勢線のほか三岐鉄道三岐線が通じ,北上してきた国道306号,365号線が町内で合し,旧藤原町に抜ける。
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