ちまき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ちまき」の意味・わかりやすい解説

ちまき
ちまき / 粽
茅巻

餅(もち)菓子の一種。古くはチガヤの葉で餅を巻いたところからこの名がある。927年(延長5)に完成した『延喜式(えんぎしき)』に、「粽(ちまき)料糯米(もちごめ)二石」と記載されているほか、934年(承平4)ごろの『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にも、「菰(まこも)葉をもって米を包み、灰汁(あく)をもってこれを煮る」と記されており、奈良時代から平安時代前期には存在した食物とみられている。ちまきを端午節供に用いるのは中国からの習俗で、汨羅(べきら)の淵(ふち)に身を投じ、自らの命を断った楚(そ)の詩人屈原(くつげん)を悼み、屈原の姉はその淵に餅を投じて弔った。その忌日が5月5日にあたるところから、楚の人々は毎年5月5日に、竹筒に米を詰めて水中に投じ、慰霊祭を行ったという。またこの行事は、時運に恵まれて飛竜となることができず、水底に悶々(もんもん)としている蛟(みずち)を鎮めるための行事ともされる。日本では京都の祇園(ぎおん)祭にちまきをつくる。反体制側の疫神(えきじん)といわれる牛頭(ごず)天王にちまきを献ずる慣習は、蛟にちまきを投ずる中国の祭事と共通するものがあるが、日本でのちまきは、これを食することにより災厄疫病を逃れるという解釈に置き換えられてしまった。神に捧(ささ)げた食物を口にする本来の意は、その神との同族意識を強めることであり、牛頭天王なる疫神とともにあるということである。単純に厄払いができる意味ではない。

 ちまきは、つくられる地方によって材料や包み方などに変化が多く、用いる日も端午の節供や祇園祭以外に、山形・秋田地方で正月に食べる笹(ささ)巻き、旧暦12月8日に沖縄で食べる鬼餅、島根地方で半夏生(はんげしょう)(夏至(げし)から11日目)につくる笹巻餅などがある。また種類ではこれらのほか、宮城県白石(しろいし)市の三角にしたちまきの隅々に大豆を詰める三角ちまきや、同地方で古く「陪堂(ほいと)(乞食)の荷物」と称したカイコの繭形の餡(あん)入りちまき、岐阜県中津川地方に伝わるカリヤスちまき(カリヤスの葉を用いたちまきの餅は淡黄色に染まる)、鹿児島地方の竹皮でくるんだあくまきなど多様である。とりわけあくまきの製法には古い時代のちまきの仕法がしのばれる。糯米をといで竹皮に盛り、よくくるんで2、3か所を竹皮の紐(ひも)で縛る。一方、クスの木の根を燃して灰をつくり、これで灰汁の上澄み液を用意しておく。この液に竹皮包みの糯米を一昼夜ほど浸し、4時間くらいゆでる。糯米は餅状になり、半透明の飴(あめ)色を呈するが、舌ざわりは葛餅(くずもち)のような感じで、硫黄(いおう)臭のような特有のにおいがつく。

 端正な円錐(えんすい)型と風雅な味わいで、「烏丸(からすま)に御粽司(おんちまきし)とてかくれなき」(四明)と高名なのが、京都上賀茂(かみがも)にある川端道喜(どうき)の道喜ちまきである。ちまきは本来きな粉や黒蜜(くろみつ)で食したが、初代道喜は米粉に初めて砂糖を入れ、鞍馬(くらま)笹にくるんで蒸したものを後柏原(ごかしわばら)天皇(在位1500~1526)に献上内裏ちまきの名を下賜された。現在の道喜ちまきは羊かんちまきと水仙ちまき(葛ちまき)である。

[沢 史生]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ちまき」の意味・わかりやすい解説

ちまき

粽。もち米を主材料とした餅菓子の一種。笹,ちがや,竹の皮などで巻き,い草で三角形に縛ってつくる。古くから端午の節供の祝いに用いられるが,中国から伝えられたものである。最も普通の御所ちまきは,上新粉を練って適当にちぎり,せいろうで蒸し,これをこねて長い三角形に成形し,笹の葉で包んで再びせいろうに入れて蒸してつくる。黄粉とか砂糖,蜜につけて食べる場合が多い。このほか,葛粉やデンプン,砂糖などを入れたういろうちまきとか,水仙ちまき,三角ちまき,手綱ちまき,羊羹ちまきなど種類が多い。

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