改訂新版 世界大百科事典 「はしか」の意味・わかりやすい解説
はしか
measles
麻疹ともいう。非常に感染力の強い疾患で,ワクチンが接種されるようになるまでは,だれでも一度はかかると考えられていた。三日ばしかと呼ばれるのは風疹であって,はしかではない。日本では1978年の秋からはしかワクチンの定期接種が始められ,九十数%に免疫が得られているので,患者は減少している。
疫学
ほとんどの母親がはしかにかかって抗体を保有しているので,その抗体が胎盤を通って胎児に入るため,生後3~4ヵ月までの乳児ははしかにかかることはまれである。2~4年ごとに流行があるが,ワクチン接種によって患児数は減少傾向にある。春,秋から冬にかけて発症することが多い。ワクチンが開発されるまでは年間200万人がかかり,約2000人が死亡していた。生後6ヵ月から低学年の児童に多いが,年長児にもまれではない。空気,飛沫,接触感染など,さまざまな感染経路で感染する。
病因
はしかウイルスの感染による。このウイルスは径120~250μmの大きさで,RNAの核酸をもつパラミクソウイルスに属する。
症状
感染を受けて発病するまでの潜伏期は10~12日くらいである。全身倦怠感,発熱,咳,くしゃみ,結膜の充血が起こる。3~4日していったん熱が下がり,半日くらいで再び高熱となり,このころから発疹が出現する。発疹は首,耳の後ろから出現し,顔,胸としだいに全身に広がる。眼脂も多くなり,最も重い時期である。発疹は部分的に融合する。発疹が出現してから3~4日目から熱はしだいに下がり,咳,結膜や粘膜の発赤も軽快する。発疹は退色し,細かく落屑(らくせつ)し,黒褐色の色素沈着を残す。この色素沈着は数日から10日ほどで消える。以上のような経過をとるが,初めに発熱して咳や結膜の充血が激しい時期をカタル期,いったん解熱してまもなく再び発熱し,発疹のみられる時期を発疹期,発疹が色素沈着となり平熱となった時期を回復期と呼んでいる。カタル期の終りころにほおの粘膜の臼歯に面する部分に細かい白い斑点がいくつか出現するが,これはコプリック斑Koplik's spotsと呼ばれ,はしかに特異的である。コプリック斑は70~95%の患児にみられ,著しい場合は口腔粘膜全体に広がることもある。発疹の2日ほど前に現れるので,診断上重要な所見とされている。
治療
合併症が起こらなければ対症療法のみであるが,重症の場合や,免疫抑制剤,副腎皮質ホルモンを使用している患者がはしかにかかった場合は,血漿製剤であるγ-グロブリンを静脈内に点滴する。
合併症
(1)肺炎 ほとんどが,はしかウイルスによるのではなく,細菌の二次感染によるものである。原因菌に対して適当な抗生物質を使用する。(2)脳炎 発疹が出現してから4~7日の間に起こる。症状としては,頭痛,嘔吐が初発し,痙攣(けいれん),意識障害まで進行することもある。脳炎の合併する頻度ははしか罹患者1000人に対して1人で,脳炎を合併した患者のうちの10~40%は死亡するといわれている。後遺症を残して回復するもの,完全に回復するものなど,治癒の程度もいろいろである。(3)中耳炎 よくみられる合併症で,原因菌はインフルエンザ杆菌,肺炎球菌,連鎖球菌,ブドウ球菌が主である。
予防
はしかワクチン接種。母親からの抗体がなくなってから,あまり遅くならないうちに接種するのが理想的である。現在は,生後12ヵ月~90ヵ月に接種することとされ,ワクチンによる免疫獲得率は95%以上となっている。また風疹との混合ワクチンが就学1年前に追加接種することになっている。γ-グロブリンは,ワクチンがつくられてからは予防にはあまり用いられない。感染後1週間までにγ-グロブリンの十分量を筋肉内注射すると予防が可能であるが,確実な方法ではなく,発病を免れないことも多い。感染前5日くらいに用いると予防効果は大きいが,もし,まったくウイルスの侵入がなければ長期間の免疫は得られない。
執筆者:渡辺 言夫
疾病史
いわゆるはしかは,今日ではとても疫病などとは考えられないが,以前は死亡率が高く,大量死をもたらした。おそらく,栄養が悪かった時代には,はしかにたやすく肺炎が併発し,命とりとなったのであろう。古代エジプトのミイラにはしかがあったことが知られ,中世ヨーロッパの都市でもペストや天然痘とともに猖獗(しようけつ)をきわめていた。近代になって,ヨーロッパからの侵入者によってもたらされたはしかは,アメリカやアフリカの原住民に壊滅的な被害を与えた。
日本では,仏教伝来と前後して中国大陸から朝鮮半島を経由して入ってきた疫病は,天然痘とともにはしかであるともいわれている。この両者は古代にはしばしば混同されていた。例えば737年(天平9)に大流行した疫病の〈赤斑瘡(せきはんそう)〉,また998年(長徳4)の〈赤疱瘡(あかもがさ)〉はその症状からはしかとされる。江戸時代にもはしかはたびたび大流行を繰り返し,天然痘より死亡率が高かったので,〈疱瘡(天然痘)は器量定め,麻疹(はしか)は命定め〉といわれた。一方,はしかは免疫性が強く,流行に周期性があるので,昔の人はそれをひどく不思議に思い,神秘的にさえ考えていた。そこではしかの養生書には〈麻疹年表〉がつけられ,またその養生と禁忌を説いたいわゆる〈はしか絵〉が多数出回った。江戸幕府の5代将軍徳川綱吉は63歳のときはしかにかかって死亡した。また1862年(文久2)の大流行のときには,江戸だけでも26万余人の死者を算したという。
執筆者:立川 昭二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報