アイ(藍)(読み)あい(英語表記)Chinese indigo

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイ(藍)」の意味・わかりやすい解説

アイ(藍)
あい / 藍
Chinese indigo
[学] Persicaria tinctoria (Aiton) Spach
Polygonum tinctorium Lour.

タデ科(APG分類:タデ科)の一年草。東南アジア原産。日本には飛鳥(あすか)時代以前に中国から渡来したとされる。茎の高さは50~80センチメートル。夏に、枝先に紅色または白色の小花を穂状につける。種子は長さ2~3ミリメートル、熟すと黒色卵形で3稜(りょう)がある。葉は先のとがった卵形で、全体が赤みを帯びて黒ずんだ緑色。葉から濃青色の染料インジゴをとるために栽培される。インジゴをとる植物にはリュウキュウアイキツネノマゴ科)、タイセイアブラナ科)、ナンバンコマツナギインドアイ)(マメ科)など数種あるところから本種をとくにタデアイとよぶこともある。日本には昔から「小上粉(こじょうこ)」「百貫(ひゃっかん)」「小千本(こせんぼん)」などの品種が栽培されたが、現在はおもに「小上粉」が栽培されている。これには赤花種と白花種があり、赤花種は早生で品質、収量がよく、白花種は晩生で耐病性が強く、葉の品質はもっとも優れている。

 藍の産地として古くから京都、大阪の近郊が知られ、江戸時代中期以降は阿波(あわ)国(徳島県)が主産地となった。明治時代まではかなり広く栽培されていたが、インドアイからとったインジゴの輸入や、合成インジゴの開発で栽培は激減した。しかし、色合いや木綿などに染め付けて色もちがよいことなどから現在も高級品用に需要があり、徳島県など一部の地域で栽培が続いている。

 漢方では果実・乾葉を解熱解毒に用い、民間では藍実(らんじつ)の煎汁(せんじゅう)や、新鮮な藍葉をもんだ汁を毒虫の刺傷に外用した。

[星川清親 2020年12月11日]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「アイ(藍)」の意味・わかりやすい解説

アイ(藍)【アイ】

タデ科の一年草。東南アジア原産で,染料植物として飛鳥時代以前に中国から渡来。形はイヌタデに似て,高さ50〜70cmになる。早春に苗床に種子をまき,春植え付け,夏に刈り取り,葉を刻んで乾燥させ葉藍とする。これを積み重ねて発酵させ,臼(うす)でつき固めて藍玉を作り,木灰,石灰およびふすまを混ぜて水を加え加温し建浴(たてよく)とする。これに木綿,麻などを浸し,空中にさらすと紺色に染まる。江戸時代の阿波の藍玉の生産は有名。合成インジゴの開発により栽培は激減したが,高級品を中心に根強い需要がある。藍色の染料植物にはほかにリュウキュウアイ(キツネノマゴ科),インドキアイ(マメ科)があり,それらと区別してタデアイともいわれる。→紺屋(こうや)
→関連項目草木染紺絣染色染料染料作物徳島平野

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アイ(藍)」の意味・わかりやすい解説

アイ(藍)
アイ
Persicaria tinctoria (Polygonum tinctorium)

タデ科の一年草。高さ 50~70cmになり,茎は紅紫色を帯びる。中国原産で古く日本に入った。葉,茎から染料をとり,東洋では古来,ムラサキ,ベニバナ,アカネなどとともに染料として重用された。ヨーロッパでは 16世紀に東洋から輸入して使用されるようになり,のちにはヨーロッパ諸国のアジア植民地で栽培された。日本では奈良・平安時代から栽培され,正倉院宝物中の藍染織物や『延喜式』の藍染法などの規定はその重用のさまを示している。江戸時代中期までは各地方で自給されたが,その後,阿波藩で奨励と販売統制を行い,大坂市場を独占するにいたり,阿波藍が全国的に商品として流通した。主産地は阿波と摂津。元文1 (1736) 年大坂集荷の藍玉は 48万貫 (1800t) 。 1897年頃までその生産は増加するが,明治末年,ドイツから輸入の人工藍 (アニリン染料) の圧迫によって衰えた。しかし,品質の良いところから現在でも高級品としての需要があり,生産は続けられている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android