アイヒ(英語表記)Günter Eich

改訂新版 世界大百科事典 「アイヒ」の意味・わかりやすい解説

アイヒ
Günter Eich
生没年:1907-72

ドイツ詩人放送劇作家。フランクフルトアン・デル・オーデル近郊に生まれ,法学・中国学を修めたのち文筆活動に入り,従軍・捕虜生活を経て第2次世界大戦後再出発した。1950年に〈47年グループ〉賞を受け,53年,ともに同グループに属する女流作家アイヒンガーIlse Aichinger(1921- )と結婚。59年ビュヒナー賞受賞,ベン亡きあとの西ドイツで影響力最大の詩人となった。〈現実の中に自分を定位するため〉詩作する彼にとって,現実の安定の欺瞞性を暴き,偏見やイデオロギーにより麻痺させられた判断・批判・決断・抵抗の力と良心とを取り戻すことが重要な課題となる。黙示録的放送劇《夢》(1951)も,迷妄の世界の〈厭な夢〉から目覚めかつ覚醒し続けることを呼びかける作品で,ロマン派的〈夢〉へのアンチ・テーゼ,また現代人への警告でもある。権力・政治,ひいては〈人間〉〈現実〉〈真理〉すべてへの懐疑不信が深まるにつれ,本来簡潔な彼の表現は一層切りつめられ,沈黙の淵に臨むに至る。62年訪日の際,石庭に接し〈実存的経験〉を得た。詩集は《雨の告知》(1955)等7冊。《夢》《アッラーには百の名がある》(1958)等多数の放送劇は,このジャンルに芸術的自立性を与えたものとして評価が高い。散文小品集《もぐら》(1968)は常識を破るスタイル論議を呼び,自選集《ギュンター・アイヒ読本》(1972)とともに,彼自身の従前の作品とその受容への意欲的挑戦となっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイヒ」の意味・わかりやすい解説

アイヒ
あいひ
Günter Eich
(1907―1972)

ドイツの詩人。オーデル河畔のレーブスに生まれる。彼自身の評価によれば「遅ればせの表現主義者であると同時に自然詩人」として早くから詩作活動に入っていたが、ナチス時代には筆を折り、第二次世界大戦に従軍。捕虜収容所のなかで詩人として再出発し、「グループ47」に加わった。詩集『辺地の農場』(1948)は戦後西ドイツ詩の一起点を示すものであるが、自然との独特な関係のうちに実現される自己経験を通じ事物の不可視の謎(なぞ)を、ひいては人間存在の意味を探ろうとした詩作の成果『雨のたより』(1955)はドイツ現代詩の頂点の一つとなった。しかし彼の名を一般に広めたのは、『エルクベートへ行くな』(1950)をはじめとする数多くの放送劇である。彼は放送劇を純文学のジャンルにまで高めた。1960年にビュヒナー賞を受賞。晩年に散文集『もぐらもち』(1968)を発表して表現の可能性を追究、文学界にセンセーションを巻き起こした。

[内藤道雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アイヒ」の意味・わかりやすい解説

アイヒ
Eich, Günter

[生]1907.2.1. レーブス
[没]1972.12.20. ザルツブルク
西ドイツの詩人,放送作家。ライプチヒ,ベルリン,パリの各地で法律,中国学を学んだのち作家生活に入り,第2次世界大戦中には6年間兵役についた。 1959年にビュヒナー賞を受賞。主著は詩集『辺地の農家』 Abgelegene Gehöfte (1948) ,『雨の使者』 Botschaften des Regens (55) ,『機会と石庭』 Anlässe und Stein-gärten (66) ,放送劇『ビテルボの娘たち』 Die Mädchen aus Viterbo (53) など。

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百科事典マイペディア 「アイヒ」の意味・わかりやすい解説

アイヒ

ドイツの詩人。詩集は《雨の告知》など,ひかえめな言葉で日常身辺の風物をうたいながら行間に鋭く現代生活の危機をのぞかせる。また放送劇作家としても活躍し作品集《夢》等がある。妻はアイヒンガー

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