アウン・サン(英語表記)Aung San

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アウン・サン」の意味・わかりやすい解説

アウン・サン
Aung San

[生]1914? ナトマウク
[没]1947.7.19. ラングーン
国民からビルマ (現ミャンマー) 独立の父と敬愛される独立運動指導者。オン・サンとも呼ばれる。ラングーン大学在学中,ウー・ヌとともに 1936年2月の学生ストライキを指導。卒業後も反英政治運動に専心。 40~41年日本に脱出。 41年日本軍とともに帰国。ビルマ独立義勇軍を結成し,軍司令官となり,43~45年バ・モー政権のもとで国防相をつとめた。しかし,第2次世界大戦中,ビルマ軍の扱いをめぐって日本と意見が合わず,44年抗日組織を結成。 45年3月ビルマ国軍を率いて日本軍と戦い,反ファシスト人民自由連盟 AFPFLを結成,総裁となった。 46年ビルマ行政参事会副議長,47年中間政府副首相。ビルマの完全独立を準備したアウン・サン=アトリー協定 (1947.1.) は反対派を刺激し,7月ウ・ソー一派により閣議中に暗殺された。

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20世紀西洋人名事典 「アウン・サン」の解説

アウン・サン
Aung San


1915 - 1947.7.19
ビルマの政治家
元・反ファシスト人民自由連盟総裁,元・行政参事会副議長。
マグエ県ナッマウ町(ビルマ)生まれ。
ラングーン大学に学ぶ。
学生時代に反英独立運動を指導し、1938年に急進政党タキン党に入党、タキン・アウンサンと名乗って活動した。’40年逮捕を逃れてアモイに出獄し、日本のビルマ工作機関の協力で海南島で軍事訓練を受けて、ビルマ独立軍を結成した。’44年反ファシスト人民自由連盟を結成し、’45年に連盟総裁としてビルマ総督に政権譲渡を要求し、独立実現に至ったが、’47年保守派の政治家に暗殺された。ビルマ独立のシンボルとしていまなお国民の敬愛を集めている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アウン・サン」の解説

アウン・サン
Aung San

1915~47

ビルマ独立運動の指導者。反英運動に従事し,1940年来日。海南島で軍事訓練を受け,41年ビルマ独立義勇軍の高級参謀(少将)となる。その後,ビルマ防衛軍の司令官,ビルマ国軍成立後は国防大臣を歴任。44年反ファシスト人民自由連盟の結成とともに議長に就任し,45年3月より抗日反乱を指揮。同年8月,国軍を引退し,イギリスとの独立交渉にあたる。46年事実上の内閣を組織し,47年独立の確約をとりつけ,少数民族との間にパウンロン協定を締結。同年7月19日暗殺される。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「アウン・サン」の解説

アウン・サン

生年月日:1915年2月13日
ビルマの政治家,独立運動指導者
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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