アクサーコフ兄弟(読み)アクサーコフきょうだい

改訂新版 世界大百科事典 「アクサーコフ兄弟」の意味・わかりやすい解説

アクサーコフ兄弟 (アクサーコフきょうだい)

ロシアの思想家。S.T.アクサーコフの子。兄コンスタンティンKonstantin Sergeevich Aksakov(1817-60)はスラブ派の思想家,文学者で,〈権力はツァーリに,言論民衆ナロード)に〉をモットーとして,両者の相互不可侵の共存関係を理想化した。アレクサンドル2世への上奏文《ロシアの内情》(1855)の中で彼は,政治権力を必要悪とする立場から,専制的国家体制の存続を認める一方,民衆(=農民)の自律的な共同体原理にもとづく国の有機的統一体(ゼムリャー)の回復を訴え,また,権力と民衆との共存を保障するためツァーリの諮問機関として全国議会(ゼムスキー・ソボル)の設置を提案し,その前提として民衆に言論の自由を与えるよう求めた。権力を悪とする彼の思想は無政府主義者バクーニンにも影響を与えた。ロモノーソフの研究をはじめ,言語学上の労作もある。弟のイワンIvan Sergeevich Aksakov(1823-86)は1858年以降モスクワのスラブ慈善協会の指導者として活躍。《ロシアの談話》《モスクワ》等保守的傾向の雑誌を主宰した。また,西欧の列強諸国に対してロシアを盟主としたスラブ諸民族の大同団結を唱え,パン・スラブ主義イデオローグとなった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアクサーコフ兄弟の言及

【スラブ派】より

…ナポレオン戦争後の民族主義とドイツ・ロマン主義の影響のもとにはぐくまれ,直接的にはチャアダーエフの《哲学書簡》(1836)をめぐる論争の過程で形成された。この派のおもな思想家はキレエフスキー兄弟,A.S.ホミャコーフ,アクサーコフ兄弟,サマーリンYurii Fyodorovich Samarin等で,彼らの論敵は西欧派と呼ばれた。1840年代の初頭から50年代にかけて,二つの陣営は西欧とロシアの文化的特質,ロシア文化の自立性,世界史の中でのロシアの役割等の問題に関して,各種のサロンを中心に議論をたたかわせた。…

※「アクサーコフ兄弟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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