アシュトン

デジタル大辞泉 「アシュトン」の意味・読み・例文・類語

アシュトン(Catherine Margaret Ashton)

[1956~ ]英国の政治家反核運動などさまざまな活動を展開してキャリアを積み、1999年、慈善活動の功績により一代貴族として上院議員に任命された。通商担当欧州委員を経て、2009年、欧州理事会外務・安全保障上級代表に就任。

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百科事典マイペディア 「アシュトン」の意味・わかりやすい解説

アシュトン

英国の舞踊家,振付家。エクアドルに生まれ,ロンドンマシン,M.ランバートド・バロアらにバレエを習う。1926年《ファッションの悲劇》で初めて振付を手がける。1935年ド・バロアの招きでビック・ウェルズ・バレエ団(のちのローヤル・バレエ団)に舞踊家兼振付家として入団。独自のイギリス的なスタイルの振付には定評がある。おもな作品は《シンデレラ》(1948年),《オンディーヌ》(1958年),《リーズの結婚(ラ・フィユ・マル・ガルデ)》(1960年),《田園の出来事(田舎での歳月)》(1976年)など。1963年―1970年ローヤル・バレエ団のディレクターを務めた。1961年ローヤル・バレエ団とともに来日。→フォンテインマクミランランバート・バレエ団

アシュトン

英国の経済史学者。マンチェスター大学で学び,シェフィールドバーミンガムマンチェスターの各大学で講師を歴任したあと,1944年にロンドン大学経済史教授となる。もともとは金融論を専攻したが,G.アンウィンの影響をうけて経済史に転じ,18世紀の経済史,とくに産業革命を中心に研究を進めた。産業革命を断絶(革命)ととらえてそのもたらした悪影響を強調するトインビー派の見解を批判して,産業革命の連続性を主張し,また生活水準論争においても,楽観的な立場をとった。主著《産業革命》(1948年)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アシュトン」の意味・わかりやすい解説

アシュトン
Ashton, Sir Frederick

[生]1904.9.17. グアヤキル
[没]1988.8.18. サセックス
イギリスの振付師,舞踊家。バレエのシェークスピアともいわれた巨匠。 L.マシーン,M.ランバートに師事し,1926年『流行の悲劇』で初めて振付を行う。いくつかの作品を作ってのち,ビック・ウェルズ・バレエ団 (のちのロイヤル・バレエ団) の終身振付師となり,『妖精の接吻』 (1935) ,『スケートをする人々』 (37) などを発表。その後も『シンフォニック・バリエーション』 (46) ,『シンデレラ』 (48) ,『オンディーヌ』 (58) ,『二羽の鳩』 (61) など短編・長編合せて 80以上の作品を振付け,また客員振付師として多くのバレエ団に作品を提供した。 N.ド・バロアの跡を受継いで,ロイヤル・バレエ団の芸術監督に就任 (63~70) 。 62年にはバレエ界で初めてナイトの称号を受けた。代表作はほかに『夢』 (64) ,『モノトーンズ』 (65,66) など多数。日本では映画『ホフマン物語』 (50) や『ピーター・ラビット』 (71) の振付師として知られている。

アシュトン
Ashton, Thomas Southcliffe

[生]1889.1.11. ランカシャー
[没]1968.9.22.
イギリスの経済史家。マンチェスター大学卒業。 1944~54年ロンドン大学教授。専門はイギリス 18世紀。産業革命については連続説の立場をとる。個別産業では鉄工業,石炭業にすぐれた研究がある。著書『産業革命』 The Industrial Revolution1760-1830 (1948) など多数。

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改訂新版 世界大百科事典 「アシュトン」の意味・わかりやすい解説

アシュトン
Frederick Ashton
生没年:1904-88

イギリスのバレエ振付師。エクアドル生れ。1917年ペルーでA.パブロワを見て,舞踊家になる決意をし,故国ロンドンでマシーン,ド・バロアに学び,以後舞踊家,振付師として活躍した。63年よりローヤル・バレエ団のディレクター兼主席振付師となった。おもな振付作品には《シンデレラ》(1948),《ドリーム》(1954),《オンディーヌ》(1958),《リーズの結婚》(1960)などがある。1961年ローヤル・バレエ団とともに来日。70年ディレクター引退後も《田舎での歳月》(1976)などを発表してきた。独自のクラシックなスタイルを築いたイギリス最初の振付師である。
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アシュトン
Thomas Southcliffe Ashton
生没年:1889-1968

イギリスの経済史学者。シェフィールド,バーミンガム,マンチェスター各大学を経て,1944年からロンドン大学教授。もともと金融論の専門家であったが,G.アンウィンの影響をうけて歴史研究に向かう。産業革命の経営史的研究を前提に,産業革命の断絶(革命)説に対する連続説,生活水準論争では楽観説をとなえ,50年代になると利子率の変動を軸にした18世紀景気変動論を展開した。
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367日誕生日大事典 「アシュトン」の解説

アシュトン

生年月日:1889年1月11日
イギリスの経済史家
1968年没

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世界大百科事典(旧版)内のアシュトンの言及

【産業革命】より

… しかし,資本主義世界が相対的に安定した1920年代になると,産業革命がもたらした現代社会への肯定的姿勢が強くなり,近代経済学的な発想法の影響もあって,〈楽観説〉が成立する。実質賃金統計などを作成してみると,労働者の生活水準は,産業革命期にもむしろ上昇しているとするこの立場は,J.H.クラッパムによって整えられ,T.S.アシュトンらに受け継がれて,欧米では通説の位置を占めた。産業革命前の社会も,悲観説が想定したほどのパラダイスではなかったし,〈産業革命〉と呼ばれている現象自体,数世紀にわたる連続的な変化の集合であって,短期の〈革命〉的激変などではない,というのが楽観説派の立場である。…

※「アシュトン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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