アテネ・オリンピック競技大会(読み)アテネ・オリンピックきょうぎたいかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アテネ・オリンピック競技大会
アテネ・オリンピックきょうぎたいかい

ギリシアアテネを開催都市として行なわれた第28回オリンピック競技大会。2004年8月13日から 29日まで開催され,初参加のキリバス東ティモールを加え,201の国と地域から約 1万1100人の選手が参加した。古代オリンピック発祥地で近代オリンピックが 108年ぶりに開催されることになった。オリュンピアの古代競技場(スタディオン)を砲丸投げの会場としたのをはじめ,アーチェリーは 1896年第1回アテネ・オリンピック競技大会のメインスタジアムであったパナシナイコ競技場で実施,マラソンも第1回大会のコースを再現するなど,オリンピックの母国ならではの企画が取り入れられた。またこの大会から,世界五大陸を回る国際聖火リレーが実施された。金メダル数はアメリカ合衆国が 36個,次いで中国が 32個,ロシアが 27個,以下オーストラリア 17個,日本 16個と続いた。きわだった個人成績としては,男子水泳でアメリカのマイケル・フェルプスが金メダル 6個,銅メダル 2個を獲得し,個人で 1大会 8個という新記録をつくった。日本選手の活躍も目立った。女子マラソンの野口みずき柔道野村忠宏,鈴木桂二,谷亮子(旧姓田村),水泳男子平泳ぎ 100mと 200mの北島康介,女子 800m自由形の柴田亜衣,女子レスリング吉田沙保里と伊調馨らが,また男子体操団体総合が金メダルに輝いた。陸上競技男子ハンマー投げの室伏広冶は,ハンガリー選手がドーピング失格となったため繰り上げで金メダリストになった。

アテネ・オリンピック競技大会
アテネ・オリンピックきょうぎたいかい

ギリシアのアテネを開催都市として行なわれた第1回オリンピック競技大会。1896年4月6日から 15日まで,初めての近代オリンピック競技大会として開催された。参加 12ヵ国,参加選手 280人,8競技 43種目が実施された。当時ギリシアは財政難に直面しており,極端な経済緊縮政策がとられていたため,一時はハンガリーやスウェーデンでの代替開催も考えられた。しかし最終的には国王ゲオルギオス1世の決断で開催が決まり,前330年に建てられたパナシナイコ競技場も 5万人収容の大理石の競技場として改修された。実施されたのは,自転車競技,射撃競技,水泳,体操競技,テニス,フェンシング,陸上競技,レスリングの 8競技で,参加選手は古代オリンピックと同様に全員男性だった。金メダル数では,わずか 14人の選手団で参加し 11個を獲得したアメリカ合衆国が 1位,次いで地元ギリシアが 10個,ドイツ 6個,フランス 5個の順であった。特筆すべきことはアメリカ陸上選手の活躍で,陸上競技 12種目中 9種目を制した。また 100mと 400mに優勝したトマス・バークが,腰を落とすクラウチングスタート法を初めて使って人々を驚かせた。大会の最後を飾るマラソンでは,無名の羊飼いの農民だったギリシアのスピリドン・ルイスが劇的な優勝を飾り,国王から特別表彰を受けた。ルイスの優勝を機にオリンピック熱は全ギリシアに広がり「永久アテネ開催」も唱えられたが,各国もちまわりでの開催という近代オリンピックの基礎が固められた。

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