アバンギャルド(英語表記)avant-garde

翻訳|avant-garde

デジタル大辞泉 「アバンギャルド」の意味・読み・例文・類語

アバン‐ギャルド(〈フランス〉avant-garde)

《軍隊用語で、前衛・尖兵の意》
第一次大戦後、欧州に興った芸術革新運動。抽象芸術シュールレアリスムなどに代表される。前衛派。
前衛芸術

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精選版 日本国語大辞典 「アバンギャルド」の意味・読み・例文・類語

アバン‐ギャルド

〘名〙 (avant-garde 軍隊用語で「前衛」の意)
① 第一次世界大戦頃から、フランスなどで起こった芸術運動。既成の芸術観念や形式を否定し、革新的芸術をつくり出そうとした。立体派、未来派、抽象画派、超現実派などの総称。前衛派。
※荷風随筆(1927‐28)〈永井荷風〉正宗谷崎両氏の批評に答ふ「新文壇の所謂アヴァンガルドに立って」
② 芸術の世界で先端的な活動をする人。前衛。
※第2ブラリひょうたん(1950)〈高田保〉絹代の勇気「観念の上では随分とアヴァン・ギャルドがいて」

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改訂新版 世界大百科事典 「アバンギャルド」の意味・わかりやすい解説

アバンギャルド
avant-garde

〈前衛〉の意。元来はフランスの軍隊用語で,本隊に先がけて敵陣を偵察し奇襲する精鋭の小部隊。次いで政治に転用されて,大衆の自然発生的反抗を目的意識的な体制変革へと組織する,革命運動の指導部ないし革命政党の意。さらに芸術に転じて,因襲や社会通念を打破し,未知の表現を切り開こうとする,芸術上の実験や冒険をさす。アバンギャルドとは,一般にはこの前衛芸術のことをいう。

 その源流はランボー,ロートレアモン,ネルバルら,社会から疎外される不幸を現実から自由な想像力の起点に転じた,19世紀の〈呪われた詩人たち〉で,ベル・エポックに文明の終末と人類の黙示録的解放をうたったアポリネールや,精神生活の二等辺三角形のうち,孤独な頂点にいる芸術家は〈精神の内的必然性〉に従えば,底辺にいる大衆の未来の生活感情を先取りできると説いたカンディンスキーの著書《芸術における精神的なもの》(1912)をはじめ,20世紀初頭のフォービスムキュビスム,表現主義,未来主義,シュプレマティズム,構成主義などの芸術運動には,この概念がすでに潜在していたといえる。だが,第1次大戦中におこったダダは,嫌悪と自発性を原理として,芸術のタブラ・ラサ(白紙状態)への還元を求め,あらゆる物体や行為も芸術作品たりうることを立証した点で,カンディンスキーの精神の三角形を逆立ちさせた観がある。事実,前衛芸術の概念が普及したのは,ブルジョア社会の破局があらわになった第1次大戦以後で,抽象芸術シュルレアリスムがその二大潮流を形づくったほか,プルースト,ジョイス,A.V.ウルフ,A.ハクスリー,カフカ,ピランデロ,ドス・パソスらの文学も,先鋭な方法的実験によって注目された。反面,革命精神も流派や様式として実体化されると,モダニズムの風潮に飲み込まれがちで,ロシア革命後ソ連のプロレトクリトの運動や,資本主義諸国のプロレタリア芸術運動は,その点を厳しく批判したから,〈革命の芸術と芸術の革命〉〈政治の前衛と芸術の前衛〉の統一が絶えず求められた。だが,ソ連ではスターリンの支配体制が完成した1930年代初頭,芸術諸団体の解散とジャンル別単一組織への再編が共産党によって決定され,社会主義リアリズムが創作と批評の基本方法として公認されたため,20年代にめざましかった前衛芸術はタブーとなり,メイエルホリド,パステルナーク,エイゼンシテイン,マレービチらは粛清されるか,沈黙を強いられた。他方,ヒトラー政権下のドイツでは,前衛芸術を文化ボリシェビキ,ユダヤ的毒性の産物としてさらしものにする,〈退廃芸術展〉のキャンペーンが各地でつづけられたことも忘れられない。

 第2次大戦後の前衛芸術は,ネオ・ダダ,反芸術,カウンター・カルチャー(対抗文化)などの観念と結びついて,いっそう広範な階層にまで浸透し,抽象表現主義,アンフォルメル,ポップ・アート,オップ・アート,ミニマル・アート,ライト・アート,キネティック・アート,概念芸術(コンセプチュアル・アート)などの美術潮流,ヌーボー・ロマン,不条理劇,アンダーグラウンド演劇(前衛劇),プライベート映画などがめまぐるしく盛衰した。だが,それらは多くマス・メディアと最新のテクノロジーに支えられて,やすやすと大衆社会に受容され,体制内に統合されて,異端や反逆としての牙をもぎ取られてしまう。日本では60年代の末,宮川淳が,多様な〈反芸術〉も制度としての芸術を少しも変えなかったばかりか,〈芸術の消滅不可能性〉を逆説的に証明した,と指摘したが,大阪万国博(1970)に多くの前衛芸術家が動員されたのが,その象徴となった。こうして70年以降は,イタリアの〈トランス・アバングアルディアtrans-avanguardia(超前衛)〉をはじめ,前衛芸術の概念への不信と批判が国際的に高まり,ブラジルの評論家フェレイラ・グラールの著書《前衛と低開発》のように,西欧の前衛芸術がロマン主義以来の脱出願望を引き継ぐ以上,第三世界の現実に機械的に導入しても不毛だ,という批判も起こっている。ただ前衛概念はすでに現代芸術の創造の論理と化しているため,概念だけ否定しても実質は容易に乗り越えられないようだ。
前衛劇 →前衛写真
執筆者:

20世紀の作曲界の状況は,18,19世紀を支配した〈調性〉と〈機能和声〉に立脚した共通の言語の内部からの崩壊とともに,多くの異なる技法と様式によるアバンギャルドの出現を準備した。その代表は〈無調〉と〈十二音技法〉の実践者であるシェーンベルク,ベルク,ウェーベルンの〈新ウィーン楽派〉,強烈なリズム表現や〈複調〉を使用したストラビンスキー,音楽はなにげないものであるべきだと〈家具の音楽〉を主張したサティらがその第1世代である。しかし音楽においてアバンギャルドの語が一般化したのは第2次世界大戦後のことであり,その主流は1946年に始まり,〈ミュジック・セリエル〉を主張したブーレーズ,シュトックハウゼンなどの〈ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習〉から国際的にデビューした作曲家たちであり,またそのアンチ・テーゼとなったアメリカのケージを中心とする〈偶然性の音楽〉の一派であった。日本ではいち早くジャズの語法を採用した黛敏郎,十二音技法で作曲を始めた諸井誠らが〈戦後派〉の第1世代である。しかしながら,世界的に1970年ころを境として音楽観そのものの多様化とそれに伴う技法と様式の多極化の結果,音楽におけるアバンギャルドの概念そのものが実体を失いつつあるのも事実である。なお,ヨーロッパに発する〈前衛音楽〉に対してケージらの音楽を〈実験音楽〉として区別する考えもある。
執筆者:

舞踊のアバンギャルドは未来主義と共に登場した。まずその嚆矢はディアギレフバレエ・リュッスが1917年に上演した《パラード》である。サティの音楽,ピカソの美術,コクトーの台本そしてマシーンの振付によって上演された。次に20年にマレR.de MareがビョルリンJ.Börlinと共にパリに設立したバレエ・シュエドアがその実験的な姿勢を全面的に引き継ぐ。マレとビョルリンは当時の音楽,美術,文学の最も前衛的な傾向を取り入れて,バレエそのものを拡大していくことを決意した。彼らの協力者は,作曲家のミヨー,オネゲル,サティ,カセラ,美術家のボナール,レジェ,ピカビア,キリコ,文学者のクローデル,コクトー,ピランデロらであり,未来主義,ダダ,シュルレアリスムなどの流れがバレエという枠組みの上で衝突することになる。バレエ・シュエドアは24年までに24本の作品を上演したが,ビョルリンがそのすべての振付を担当した。その中にはコクトー台本の《エッフェル塔の花嫁花婿》(1921),オネゲル作曲とレジェ美術の《スケート・リンク》(1922),ミヨー作曲の《天地創造》(1923),ピランデロ台本とキリコ美術の《瓶》(1924)などがあるが,いずれも実験的色彩が強過ぎて大衆にアピールせず,バレエ団は《体演》の上演を最後に解散する。

 アバンギャルドは次にアメリカに現れる。50年ころから作曲家ケージと共に偶然と不確定性の要素を舞踊に導入することを考えたM.カニンガムである。彼は52年に自分の団体をもち創作活動に入るが,協力者にはケージのほかにR.ラウシェンバーグ,A.ウォーホルらがいた。作品には《四季》(1947),《サマースペース》(1958),《ウィンターブランチ》(1964),《スクランブル》(1967),《イベント》シリーズなどがある。カニンガムはM.グレアムの劇的な舞踊作品の完結性や舞踊の音楽への従属性を排して,肉体の動きの日常的な不確定性を舞踊の中心にすえた。60年代後半になるとカニンガム舞踊団出身者がそれぞれ独自の活動を行うようになり,彼の影響力は舞踊界全体にひろがっていく。そして現在ではカニンガムの次の世代が次のアバンギャルドを送り出す番となっている。

 日本では1930年代からの津田信敏,60年代の若松美黄,土方巽,高橋彪,70年代の厚木凡人,種子島有紀子,80年代の田中泯らがアバンギャルドの名にふさわしい活動を行っている。
執筆者:

広義には時代の前衛(アバンギャルド)を担う映画の意で,その歴史は映画の発生とともに古い。その前史は,1908年のリッチオット・カニュードの第七芸術運動から始まり,ロシアとイタリアの未来派の作家たちの理論と作品(ロシアのV.P. カシャーノフの世界最初のアバンギャルド映画といわれる《未来主義のキャバレーNo13におけるドラマ》(1914)など),スウェーデンのV.エゲリングの紙を使った一連のアニメーション映画,ドイツの画家H.リヒターのグラフィックなアニメーション等によって形成されたとされる。しかし狭義には1924年から30年に至るフランスの映画芸術運動の一環としてつくられた一連の非商業主義短編映画をさし,ここではこのcinéma(film)d'avant-gardeを中心として記述することとする。

 1924年というのは,テアトル・デュ・ビュー・コロンビエとステュディオ・デジュルスリーヌというパリの二つの非商業主義映画の上映館(〈アート・シアター〉の前身)が建築された年で,映画の製作の新しい内容と新しい形式をめぐって今日の〈シネクラブ〉の前身となるさまざまな上映会と討論会が行われていた。その運動の中心にシュルレアリストのグループが加わり,やがて活発な映画芸術運動に高まっていくが,この運動にM.レルビエが〈アバンギャルド〉の名称を与えたのである。

 何よりも既成の商業主義映画の属性,とくにストーリー性とリアリズムを排除すること,そして純粋に映像のもつ芸術的表現の要素を追求することが,アバンギャルドの精神であった。ルイ・デリュック(1890-1924)によれば,それは〈余計なイメージもなく,セットもなく,無用の人物あるいはシーンもない単純な美しい線のなかに,ただ映画にのみあたえられ,奉仕しそして表現する能力のあるあらゆる手段によって,感情や感覚を映像化する映画〉である。こうしてダダイストの詩人で画家でもあるフランシス・ピヤビアの脚本によるルネ・クレール監督の《幕間》(1924)をはじめ,F.レジェの《バレエ・メカニック》(1924),M.デュシャンの《アネミック・シネマ》(1925),《アブストラクト》(1927),ブラジル生れの美術家アルベルト・カバルカンティ(1897-1981)の《時のほか何物もなし》(1926),マン・レイの《エマク・バキア》(1927),《ひとで》(1928),A.アルトーのシナリオによるジェルメーヌ・デュラック監督の《貝殻と僧侶》(1928),ブニュエルとダリの《アンダルシアの犬》(1929),ジャン・ビゴの《ニースについて》(1929)等々,きわめて意欲的・革新的な短編が,次々とつくられた。

 こうした短編映画のみならず,この時期のフランスの代表的長編映画,デュラック《スペインの祭》(1919),デリュック《狂熱》(1921),J.エプスタン《アッシャー家の末裔》(1928),A.ガンス《鉄路の白薔薇》(1923),J.ルノアール《水の娘》(1924)等を〈アバンギャルド〉の流れの中に一括する見解もある。しかし,アンリ・ラングロアはこれらの作品をドイツ表現派と対比するため〈フランス印象派〉と名づけ,映画史ではこの分類が定着しつつある。

アバンギャルド映画の形成にはV.エゲリングの〈絶対映画〉やH.リヒターの〈抽象映画〉の強い影響があり,フランスのジェルメーヌ・デュラック(1882-1942)の〈純粋映画〉〈完全映画〉の理論とも結びついている。完全映画の理論は,感覚のみが形や線や表面を抽象に向かって整理するとし,映画はスクリーンに投げ出されたリズムづけられイメージから成立する視覚的シンフォニーを追求するととらえる。〈絶対映画〉もほぼ同様の主張であり,これらは〈純粋な視覚的エモーション〉をめざす1920年代の新しい映画芸術のマニフェストとなった。心理的な妥協がまったく避けられ,絵画的色彩的な装飾要素も混入されない〈絶対芸術〉映画と評された《バレエ・メカニック》の作者レジェは,アバンギャルド映画を〈シナリオやスターの映画に対する反逆,画家と詩人の復讐である〉としている。こうして,商業映画からいっさいの非映画的夾雑物を取り去った後に取り残されたものは,光と影の世界であった。すなわち,ルイ・デリュックが名づけた〈フォトジェニー〉という言葉が意味する〈映画美〉を表現するために,スロー・モーション,コマ落し,二重写し,フラッシュ・バック等々といった〈映画的〉テクニックが過剰に用いられ,〈アバンギャルド〉の芸術的手法として定着することになる。しかし,こうした徹底した芸術至上主義がやがて形式主義に陥る事実も否めず,たとえば当初,アバンギャルドの積極的な唱導者であった理論家レオン・ムーシナック(1890-1962)は,ジガ・ベルトフ,エイゼンシテイン,プドフキンらのソビエト映画を発見して以後,絶対映画,抽象映画,純粋映画を,〈いわゆる前衛映画〉とし,それらは手前味噌の前衛,実験室の実験止りであり,少数の通やつくり手のみに役立つだけで映画の真の運命には相反したものであるという強烈な批判を浴びせるにいたるのである。

アバンギャルド映画の多くは商業ルートに乗らない短編映画がほとんどで,国外では見られることがきわめて少なかった。そのためにいっそう神話化され,〈厳密な科学映画〉〈これまで予想だもされなかった壮大な超映画〉〈政治的同盟映画〉,さらには〈猥褻な映画〉といったさまざまな想像がなされた。しかし,各国の映画界に直接・間接に与えた影響は大きく,オランダの記録映画作家ヨリス・イベンス,ソ連のキノ・プラウダと呼ばれる記録映画の作家ジガ・ベルトフ,イギリスの実験アニメ作家レン・ライ,アメリカのロバート・フローレイ,彼と組んだ名カメラマン,グレッグ・トーランド,といったアバンギャルド映画作家がこの時期に次々と活動を開始した。日本でも衣笠貞之助が,川端康成を中心とした新感覚派のグループのシナリオによって《狂った一頁》(1926)を作り,その手法(フラッシュ・バック,二重露出等々)に飯島正は,ガンスやボルコフの作品との近似を指摘している。

1930年にパトロンとして知られたド・ノアイユ子爵の援助で作られたコクトー《詩人の血》とブニュエル《黄金時代》を最後の頂点として,アバンギャルド映画はトーキーの到来とともに消滅する。トーキーの産業的条件,たとえば製作費の高騰,機材の複雑化などに世界的な不況の影響が加わり,アバンギャルドのアマチュアリズムが適応できなくなったことが主たる要因であった。こうして,クレール,ブニュエル,ビゴ,ルノアール,グレミヨンらは劇場用商業映画に移行して〈映画のプロフェッショナル〉となり,エプスタン,カバルカンティ,イベンス,W.ルットマンらは,〈撮影所に入る〉ことを拒否して,記録映画作家の道を選ぶことになる。一方アメリカでは,30年代末期に,安価で入手しやすくなった16ミリのカメラとフィルムを利用して,20年代のアバンギャルドを引き継ぐ〈個人映画〉が台頭し,これがやがてアンダーグラウンド映画の運動につながるのである。

1949年,フランスのビアリッツで商業主義から見離された映画を集めた〈呪われた映画祭〉が開催された。これに際して,映画批評家アンドレ・バザン(1918-58)は映画の大衆性と芸術性が離反するという考えは間違いであることを強調し,映画の美学の前衛に立ち,真に映画を前進させるものはすべて〈アバンギャルド〉であるという新しい定義とマニフェストを発表した。その意味で最初の真のアバンギャルド映画作家はメリエスであり,次いでグリフィス,そしてフィヤード,ガンス,シュトロハイムであるとし,これら商業映画を作る以外の何ものもめざさなかった監督たちが今日の映画にもたらしたものはブニュエルやリヒターよりも少ないだろうかと喝破した。この主張がのちにフランスのヌーベル・バーグの基礎となったことは,ヌーベル・バーグの映画批評誌《カイエ・デュ・シネマ》がアバンギャルドとの対比を明確にするためにヌーベル・バーグを〈ヌーベル・ギャルド〉と呼んだことからも明らかである。また,たとえばルットマンがフリッツ・ラング監督《ニーベルンゲン第2部》(1922)の夢のシーンを,ダリがハリウッドでヒッチコックの《白い恐怖》(1945)の夢のシーンをそれぞれデザインし,またレジェがイギリスでW.C.メンジース監督のSF映画《来るべき世界》(1936)の衣装デザインを担当するなど,劇場用商業映画へのアバンギャルド作家の参加の例もあり,商業映画と広義のアバンギャルド映画を映画史の上で本質的に区分することは結局のところ困難といえよう。
アンダーグラウンド映画
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アバンギャルド」の意味・わかりやすい解説

アバンギャルド
avant-garde

軍隊用語の「前衛」を意味するフランス語で,革新的,前衛的な芸術,またはその立場をとる芸術家たちをいう。主としてシュルレアリスム,抽象主義,キュビスム未来派ダダなどの傾向をさしたが,今日では既成の芸術観念や形式を否定する先端的な芸術の一般的呼称となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アバンギャルド」の意味・わかりやすい解説

アバンギャルド
あばんぎゃるど
avant-garde フランス語

前衛の意。もともとは軍隊用語で、前方を護衛する精鋭部隊をさしている。転じて革新的な芸術の動きにあてられ、とくに他に先んじて未知の領域を切り開くことを急務とした20世紀初頭の芸術運動、すなわちイタリア未来派、ロシア構成主義、ダダ、シュルレアリスムなどを称して用いられる。芸術の革新がやや一般化した今日では、この過激な名称は多用されないが、芸術の領域によっては、前衛書道、前衛いけ花、前衛音楽などと使われている。

[高見堅志郎]

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百科事典マイペディア 「アバンギャルド」の意味・わかりやすい解説

アバンギャルド

〈前衛〉の意。もとは先頭に立つ少数精鋭部隊を意味するフランスの軍隊用語。転じて因習,伝統,権威に反逆し,表現形式の変革を試みる芸術をさす。前衛芸術。したがって特定の主義,流派ではなく,時代の先端に立つ革新的な芸術傾向の総称。
→関連項目モダニズム

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デジタル大辞泉プラス 「アバンギャルド」の解説

アバンギャルド

ドイツの筆記具メーカー、ステッドラー社の多機能ペンの商品名。2色の油性ボールペン、蛍光ペン、シャープペンシルの機能を搭載。

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世界大百科事典(旧版)内のアバンギャルドの言及

【前衛】より

…元来はフランスにおける軍事用語avant‐gardeで,本隊に先行し,これを導く精鋭部隊を指した。現代においては,とくに労働者階級や人民を指導し方向づける少数の政党を指すことが多い。…

※「アバンギャルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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