アフリカ文学(読み)あふりかぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アフリカ文学」の意味・わかりやすい解説

アフリカ文学
あふりかぶんがく

アフリカ文学には非文字文学と文字文学がある。非文字文学とは、神話、民話、英雄叙事詩など、古くから口誦(こうしょう)で伝達されてきた口承文芸のことである。ヨーロッパ近代文明の行き詰まりが顕在化してきた昨今では、これにかわる新しい21世紀の文明の柱となるべきアフリカ的価値体系を、この非文字文学の世界から発掘構築しようとする動きが、とくに1975年以降のアフリカで活発になってきている。M・クネーネの『偉大なる帝王シャカ』、A・K・アーマーの『治療師(ヒーラー)たち』、クラーク・ベケデレモの『オジディ・サガ』、C・ライェの『言葉の守護者』などの、口承文芸を文字化した作品がその一環である。一方、文字文学は、スワヒリ文学、バントゥー文学、ハウサ文学など、イスラム教の影響の強いアラブ文化圏と、西アフリカ沿岸地域および南部アフリカと東アフリカのキリスト教文化圏に二分される。そして現代アフリカ文学という場合、その主流はキリスト教圏文学をさす。

[土屋 哲]

アフリカ文学の歴史区分

さて現代アフリカ文学は、旧宗主国の言語により英語圏、フランス語圏、ポルトガル語圏に大別され、このほかに、多人種社会を反映して異質な文学を発達させている南アフリカ共和国の文学がある。アフリカ文学を歴史的に区分すると、次のように4期に分けられるが、1980年代以降はさらに若手の新しい文学の担い手が登場しており、これを第5期とみることもできる。

[土屋 哲]

第1期

第1期の文学は、西欧諸国による植民地化が19世紀中葉から始まるにつれて、それと呼応するかたちで発達したキリスト教伝道文学である。そしてその頂点に『チャカ王』(1925)を書いたトマス・モフォロThomas Mofolo(1876―1948)と『千の精霊の生息する森林』(1938)を書いたファグンワDaniel Olorunfemi Fagunwa(1903―1963)が位置する。ほかに、古くからあったアムハラ文学に加えて、コーサ、ソト(たとえば、モフォロ)、ズールー(たとえば、ジョルダン・クシュ・ングバネ(グバネ)Jordan Khush Ngubane(1917―1985)とドロモRolfes Robert Reginald Dhlomo(1901―1971))、ツワナ(たとえば、ソロモン・T・プラーキSolomon T. Plaatje(1876―1932))などのアフリカ語文学もこのころに発達した。

[土屋 哲]

第2期

第2期は、セゼール、サンゴールらを中心に、同化拒否を旗印として1930年代にパリで興ったネグリチュード(黒人性)運動を母体とする文学。フランス語圏がその本舞台で、のちにポルトガル語圏にも飛び火していった。だが1950年代に独立が射程距離内に入るにつれて、ネグリチュード自体がかつての鮮烈な活力を失い、フランス語圏文学も停滞する。ネグリチュード派詩人にデイビッド・ディオプ、ビラゴ・ディオプBirago Diop(1906―1989)、チカヤ・ウ・タムシTchicaya U Tam'si(1931―1988)、ジャック・ラベマナジャラJacques Rabémanajara(1913―2005)、ポルトガル語圏ではフランシスコ・ホセ・テンレイロFrancisco José Tenreiro(1921―1963)、オスカル・リバスOscar Ribas(1909―1990)、アゴスティニョ・ネトAgostinho Neto(1922―1979)、マリオ・アンドラーデらがいる。フランス語圏小説家には、黒人性の本質を追究したライェ、チェイク・カネCheiku Kane(1928― )、白人の偽善をコミカルに暴き立てるベティ、フェルディナン・オヨノFerdinand Léopold Oyono(1929―2010)のほかベルナール・ダーディエBernard Binlin Dadié(1916―2019)、ヤンボ・ウオロゲムYambo Ouologuem(1940―2017)がいるが、権力に抵抗しつねに話題を提供して注目され、また若者に人気のあるのが映画監督としても著名な反骨の作家ウスマン・センベーヌである。

[土屋 哲]

第3期

第3期、1960年代以降の文学の主役は英語圏に移る。ここでは小説が中心で、ダニエル・ファグンワ、チュツオーラのように神話、民間伝承を素材とする派と、アチェベ、初期のングーギ(グギ)のように近代化の過程での、新しい西欧文明と古い部族主義との激突を悲劇的に描く派(この派はやがて、俗にいうポスト・コロニアル文学の主流を形成するようになる)、エクエンシーのように近代化された都市の退廃を描いたりショインカのように伝統文化と近代文化が同居する独立後のアフリカ社会がもつ不条理性を痛烈に風刺する派の、三つの作風に大別できる。そしてその周辺の小説家にティモシー・モフォロルンショ・アルコTimothy Mofolorunso Aluko(1918―2010)、エレチ・アマディElechi Amadi(1934―2016)、ゲーブリエル・オカラGabriel Okara(1921―2019)、詩人にターバン・ロ・リヨングTaban Lo Liyong(1939― )、クラーク・ベケデレモ、コフィ・アウーノーKofi Awonor(1935―2013)、オキボらがいる。

[土屋 哲]

第4期

第4期の1970年代に入ると、たとえばショインカに代表される前記第3期の作家たちを、現実社会の諸悪から目をそらし「過去」と「神話」の世界に逃避しているとして、第3期第一世代の作家たちに批判的な、1940年以降生まれの作家たちの活動が際だってくる。ナイジェリアオモトショ、ボデ・ショワンデBode Sowande(1948― )、イシドレ・オペウォーIsidore Okpewho(1941―2016)、フェスタス・イヤーイーFestus Iyayi(1947―2013)、フェミ・オショーフィーサンFemi Osofisan(1946― )、ガーナのオカイ、ソマリアのヌルディン・ファラーNuruddin Farah(1945― )らで、彼らは社会正義を旗印に現実社会の腐食の構造と対決し、社会変革を迫るリアリストたちである。ケニアの場合ムワンギ、サミュエル・カヒガSamuel Kahiga(1946― )、それにネオ・コロニアリズム(新植民地主義)との対決を作家信条としているングーギもこの類に入る。またングーギ、ショワンデらの民衆の実生活に深く根を下ろした演劇運動、セネガル人の間での俳句熱の高まり、オモトショ、ングーギがそれぞれヨルバ語、ギクユ(キクユ)語で小説を書き出したことなどは、スティブ・ビコの黒人意識運動と連動するかたちでの、民衆の意識革命を促す動きとして注目を引く。一方、エファ・サザランドEfua Sutherland(1942―1996)、グレイス・オゴトGrace Ogot(1930―2015)、ヘッド、アマ・アタ・アイドウAma Ata Aidoo(1942―2023)、ミチェレ・ムゴMicere Mugo(1942― )、ブチ・エメチェタBuchi Emecheta(1944―2017)、マリアマ・バーらによる男権至上主義社会に批判的な女性文学も確実に育ってきており、またナイジェリアのケン・サロ・ウィワKen Saro-Wiwa(1941―1995)、ケニアのデイビッド・マイルーDavid Maillu(1939― )、ムワンギ・ルヘーニMwangi Ruheni(1934― )、チャールズ・マングアCharles Mangua(1939―2021)ら、この時期は大衆(娯楽)文学の発達も目覚ましい。

[土屋 哲]

第5期(1980年代以降)

第5期ともいうべき1980年代に入ると、第二次世界大戦終結後に生まれた、さらにひとまわり若い作家たちが新しい文学の担い手として華々しく登場してくる。おりからパレスチナ人のE・W・サイードが、1500年以来連綿として白人が継承し、同時に世界を支配してきた白人優位のユーロセントリズムEurocentrism(ヨーロッパ中心主義)とパトリアキーPatriarchy(家父長主義)に反旗を翻して、ヨーロッパ近代中心の唯我独尊的な知的装置を拒絶する立場を鮮明に打ち出した『オリエンタリズム』(1978)を世に出した。この刺激もあって、1980年代の若い作家たちは、「ヨーロッパ中心の世界観からアフリカをみるのではなくて、アフリカ中心の世界観からアフリカをみる」立場を、その作品のなかで鮮明に描き出すようになった。そして、このアフリカ中心の世界観を彼らは、アフリカに固有の豊潤な口承文芸の世界から、あるいは一般民衆のマーケット(市場)でのさりげない日常会話のなかから、汲(く)み取ろうとするのである。そんな作家にガーナのアニィドーホKofi Anyidoho(1947― )、ナイジェリアのオジャイデTanure Ojaide(1948― )、オシュンダーレNiyi Osundare(1947― )、オクリBen Okri(1959― )、オフェイマンOdia Ofeimun(1950― )、オンウェメTess Osonye Onwueme(1955― )、アルカリZaynab Alkali(1950― )、ケニアのイムブガFrancis Davis Imbuga(1947―2012)がいる。古い世代ではアチェベがこの立場にたつことを明言しており、また、1980年に独立したジンバブエからは、ムンゴシCharles Mungoshi(1947―2019)、ズイムニャMusaemura Bonas Zimunya(1949― )、ホーベChenjerai Hove(1956―2015)、マレチェラDambudzo Marechera(1952―1987)、チノディヤShimmer Chinodya(1957― )、ダンガレムバーTsitsi Dangarembga(1959― )ら同類の作家が数多く登場するようになった。さらに、バンダ政権の圧政に身を挺(てい)して抗議するマラウイの詩人マパンジェJack Mapanje(1944― )、チパシュラFrank Mkalawile Chipasula(1949― )とともに、南部アフリカの文学界がこの時期、とりわけ活況を呈していることも注目していい。そして、この多彩さは、「ポスト・コロニアル」として、一括してくくりきれるものではない、奥行きの深さを示していることも、付言しておきたい。

[土屋 哲]

南アフリカ共和国の文学

南アフリカ共和国の文学は、古くは、S・ブラックStephen Black(1880―1931)、J・P・フィッツパトリックJ. P. Fitzpatrik(1862―1931)などの、白人にとって古きよき時代であった南アの人間模様を描いた作品もあるが、主流はやはり男女間の性の差別、異人種間の性交、雑婚を主テーマとする白人系にまず開花し、オリーブ・シュライナーOlive Schreiner(1855―1920)の『アフリカ農園物語』(1883)を始祖として、ウィリアム・プルーマー、アラン・ペイトン、ナディン・ゴーディマ、J・M・クッツェー、ロレンス・ファン・デル・ポストLaurens Van der Post(1906―1997)、ダン・ジェイコブスンDan Jacobson(1929―2014)、ローデシアを舞台としたドリス・レッシングら、人種差別の実態とそれがもたらす人種間の相互恐怖、憎悪を描きながら融和の可能性を追求する文学を展開する。また差別の滑稽(こっけい)さをリアルに舞台で上演する劇作家にフガード(フュガード)がいる。

 一方、アフリカーナー(オランダ系白人)たちは、自然を畏怖(いふ)し、神の国にあこがれるカルビニズムに根ざしたアフリカーンス語による優れた詩を生み、なかでもJ・D・トティアスJ. D. Totius(1877―1953)、N・P・ウイク・ロウN. P. Wyk Louw(1906―1970)が傑出している。またボスマンは、新天地開拓民の刻苦に満ちた炉辺小咄(ろへんこばなし)を英語で小説につづり、「南アのマーク・トウェーン」と称せられている。一方、詩人のブレイテンバッハ、作家のアンドレ・ブリンクAndré Brink(1935―2015)などにみられるように、アフリカーナーのなかから、人種差別を内部告発する作品をアフリカーンス語で書く作家が現れるようになり、注目されている。

 非白人・黒人系文学は、一貫してアパルトヘイト(人種差別)に抗議する抵抗の文学で、1960年のシャープビル事件、続く非常事態宣言を契機に、世代間で大きく変質する。つまり、1940、1950年代を代表するムパシェーレ、エーブラハムズに比べて1960年代以降に活躍するラ・グーマ、リーブ、クネーネ、ルイス・ンコーシLewis Nkosi(1936―2010)、ジェイムズ・マシューズJames Matthews(1929― )、N・ンデベレN. Ndebele(1948― )らは、在来の非暴力闘争に終止符を打ち、アパルトヘイトに対してむき出しの敵意を作品に表現する。そのために作品はすべて発禁処分を受け、やがて1970年代にはオズワルド・ムチャーリ、モンガネ・セローテMongane Serote(1944― )に代表される「詩の時代」が訪れる。詩語だと、現実を抽象・象徴化でき、検閲の法の目をくぐることができるからである。とりわけ1976年のソウェトの蜂起(ほうき)は、南アの詩をさらに大きく変質させ、シポー・セパームラSipho Sepamla(1932―2007)を含めて、ソウェトで犠牲になったいたいけな学童に捧(ささ)げる優れた詩が数多く生まれている。

 ところで、アパルトヘイト法は1991年に廃棄され、1994年に民族融和を目ざすマンデラ黒人政権が誕生した。長い人種対立で荒廃した、「虹(にじ)の国」南アフリカ共和国をいかにして建て直し、楽土に仕立て上げていくかがいま問われている。文学は、そのために何ができるのか。アフリカ民族会議(ANC)文化局の屋台骨を背負うセローテをはじめ、ムザマネMbulelo Vizikhungo Mzamane(1948―2014)、マポニヤMaishe Maponya(1951―2021)、Z・ムダZ. Muda(1948― )ら黒人作家、およびC・ホープC. Hope(1944― )、ダンゴールAchmat Dangor(1948―2020)ら白人作家、それにインド系作家エソップAhmed Essop(1931―2019)らに厳しく問われている課題である。

 なおダーディエ、サンゴール、アチェベ、ングーギ、ラ・グーマ、オカイ、クネーネ、ショインカ、それに白人系作家のプルーマー、ファン・デル・ポスト、ゴーディマらが来日している。

[土屋 哲]

『土屋哲著『近代化とアフリカ』(1978・朝日新聞社)』『土屋哲著『現代アフリカ文学案内』(1994・新潮社)』『福島富士男著『アフリカ文学読みはじめ』(1999・スリーエーネットワーク)』『N・ゴーディマ著、土屋哲訳『現代アフリカの文学』(岩波新書)』

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改訂新版 世界大百科事典 「アフリカ文学」の意味・わかりやすい解説

アフリカ文学 (アフリカぶんがく)

アフリカ文学には口承と記述の2段階の伝統がある。口承伝統は文化伝播の枢軸として物心両面で共同体の必要を満たし,社会統合の機能を分け持つ。家族間の夕べのだんらん,もしくは一種の職業的カーストの介在が伝承の場をつくり出す。ベニン王国のエド族の場合,2種の語りが区別される。夕べのだんらん(イボタ)は,屋内の中央に位置し祖霊をまつるイクンと呼ばれる聖なる空間で行われ,昔話(オクハ)の知識が競われる。イボタでは語りたい者が語り,歌いたい者が歌う。参加者の居場所が指定されるほかは特別な約束がない。もう一つはオクポブヒエ(〈人々が寝ている間に楽器を鳴らす〉の意)と呼ばれ,アクパタ(コンゴ起源の7本弦ギター)を奏でる職業的語り手が,新生児の名付けや冠婚葬祭その他の通過儀礼などハレの日に大がかりに行う。両者の語りの内容に厳密な差異はなく,人々の日常体験やオバ伝説(ベニン王の征服戦争など)から多岐な題材が選ばれる。アクパタのかわりに太鼓(エマ)が使用され,語りよりも劇化に重点が置かれるなど現代的変容も著しく,本来の儀礼的意味が失われ,日常的な営利行為となっている例もある。この場合,語り手は俳優とみなされ,金銭とある程度の尊敬をかちとっている。

 口承文学(神話,伝説,昔話,ことわざ,民族歌謡など)は作品の存在と伝達の場が一致し,演出(身振り,表情,ものまね)が現実感を高める一種の総合芸能とみなせるが,記述文学は言語表現のみに依存し,作者と享受者の間に時空の断絶を置く孤独なメディアである。これら二つの異質な文学伝統の統合はむずかしいが,にもかかわらず“アフリカ”文学の民族的独自性の確立に腐心する作家にとっては重要な課題の一つである。アチョリ族の伝統文化を掘り起こし,そこから西欧近代の疲弊を揶揄(やゆ)するオコト,イボ族の伝承を巧緻に織り込むアチェベ,ヨルバ族の豊饒な神話的世界を現代に蘇生させるショインカ,キクユ族の神話,民族歌謡に反植民地の気概を読み取るグギらの仕事はアフリカ文化の汚辱を洗い,民族的伝統を再定義する努力にほかならない。またサンベーヌ,グギ,ショインカ,アーマ,オモトショKole Omotoso(1943- ),フセインEbrahim Husseinらスワヒリ語作家の映画,演劇,民族語への関心には,メディアの転換によってアフリカ人読者層の薄さを克服しようとの意図がある。政治的拘禁を契機に民族語作家に転身し,農民や労働者の演劇運動に専念するグギの場合,これによって反体制の闘いの場を転換し,新たな読者を獲得するだけでなく,文学創造に民衆参加の道を開き,これをキクユ族の民族伝統に接木しようとの意気が見られる。

スワヒリ語とハウサ語は植民地化以前からアラビア文字による記述伝統を持っていた。スワヒリ語の場合,マガージー文学(622年,ムハンマドが迫害のためにメッカからメディナへ逃れて以後,彼が行った征服戦争にまつわる伝説的叙事詩文学のことで,独自の韻律を踏む。マガージーとは〈攻撃〉〈襲撃〉の意)の伝統を汲む多数の詩編があり,アブダッラー・ビン・ナシールAbdallah bin Nasir(1720-1820),シャイフ・ムーヒ・ルディンShaykh Muhyi'l-Din(1778-1869),ムワナ・クポナMwana Kupona(1810-60)らが活躍した。イスラム的平和を説くこれら古典文学の伝統はムヤカMuyaka bin Haji(1776-1840)のごとき個性的存在を介して〈モスクから市場へ〉運び出され,シャーバンに至って近代的な散文体を確立した。ペニナ・ムハンドPenina Muhando(1948- ),ケジラハビEuphrase Kezilahabi(1944- )ら現存スワヒリ語作家の活躍はシャーバンの功績を無視しては考えられない。これと同じことがエーブラハムズPeter Abrahams(1919- ),ムファレレラ・グーマなど,アパルトヘイト下の酷薄な体験を描き,南アの現代文学を世界の檜舞台にのせた作家たちにも言える。南アでは,テンバCan Themba(1924-69),ナカサNat Nakasa(1937-65)ら自殺作家の系譜を経て,グワラMafika Gwala(1946- ),マチョバMtutuzeli Matshoba(1950- ),ムザマーネMbulelo Mzamane(1948- )らの都市プロレタリア文学ともいうべき作品群に抵抗と反逆の精神が受け継がれているが,これの素地をつくったのはソト語のモフォロThomas Mofolo(1875-1948),コーサ語のムカーイSamuel Mqhayi(1875-1945),ズールー語のドローモR.Dhlomo(1901-71)ら南部バントゥー語作家たちであった。教会の検閲にもかかわらず,モフォロの《東方への旅人》(1906),《チャカ》(1925)などにはキリスト教批判,都会的価値の否定,アフリカ人の疎外感が埋め込まれている。

 アフリカ系黒人作家による西欧近代への反逆の嚆矢(こうし)は仏領マルティニク出身のマランRené Maran(1887-1960)の小説《バツアラ》(1921)である。彼は実際の見聞から仏領赤道アフリカの白人社会の退廃を批判し,現地住民の悲惨を訴え,植民地化事業の欺瞞を暴露した。第1次大戦後の諸価値の混乱がマルクス主義,シュルレアリスムなどを台頭させ,知識人,芸術家の西欧離れを誘発したが,他方で民族共同のアイデンティティを求める動き(ハーレム・ルネサンスのほか,例えばキューバのアフロネグリスモ運動)が盛んになった。この趨勢がやがてパリ在住の黒人エリートの反抗を呼んだ。〈西欧への追随は,獲得したものより,なくしたものが大きい〉との覚醒がサンゴールセゼール,ダマLéon Damas(1912-78)らに人種の自信を回復させ,アフリカの過去の復権,個人主義・物質文明に対するアフリカ側の精神的・共同体的価値の優位を主張させることとなる。死者と生者の共存,自然と人間の一体,白よりも黒に本質的価値を付与するこのネグリチュード運動がアフリカ民族主義の哲学的支柱となったことは否めない。しかしネグリチュードの文化優先,個人よりも集団の体験,没階級的な人種強調の立場は,個人の創造精神を尊重し,政治課題の解決を最重要視するムファレレ,ショインカ,ルバディリDavid Rubadiri(1930- )ら英語圏側からの批判の矢面に立つ。実際,伝統アフリカ内部の悽惨(せいさん)な権力闘争の輪廻を描くウォロゲムYambo Ouologuem(1940- )の《暴力の義務》(1968)はフランス語圏作家自身によるネグリチュードの終焉宣言と受け取られた。ウ・タムシTchicaya U Tam'si(1931-88)はネグリチュードを批判的に超克して独自の道を拓いた特異な詩人である。

 南アと並んで放送,出版などのジャーナリズム,高等教育機関の発達が早かった西アフリカ,特にガーナとナイジェリアは現代小説のメッカである。ナイジェリアでは1940年代後半からアフリカ人の都市生活を活写し,大衆小説の分野で息の長い活躍を見せているエクウェンシCyprian Ekwensi(1921- )やヨルバ説話に取材する《ヤシ酒飲み》(1952)で知られるチュチュオーラAmos Tutuola(1920-97)らがいるが,後代への影響力の点でアチェベが傑出する。処女作《部族崩壊》(1958)で,彼はアフリカの伝統価値と西欧近代の価値との相克,そこから結果するアフリカ側の悲劇という,現在では古典的ともいえるテーマを開拓した。現在までのアフリカ人作家のおもなテーマは,西欧・キリスト教との出会い,植民地統治の初期段階,西欧教育の受容と反発,都市化の問題,独立以前・以後の政治と国家形成などで,それぞれに秀作が見られる。そして,ポスト・コロニアル時代の作家が一様に深い挫折と自己疎外に陥っていることは注目すべき現状と言える。アチェベの《国民の中の一人》(1966),アーマの《美しき者いまだ生まれず》(1968),サンベーヌの《ハラ》(1970),アウナKofi Awoonor(1935- )の《この大地,わが同胞》(1971),ムワンギMeja Mwangi(1948- )の《リバー・ロードを下る》(1976),グギの《血の花弁》(1977)などは,独立以後の国家形成の暗部を照らす一部にすぎず,アウナ,ショインカ,グギらは投獄を余儀なくされ,ラ・グーマ,クネーネMazisi Kunene(1930-2006),ベティらの国外亡命が続いている。またエクウェンシ,アチェベ,イローEddie Irohらの最近作にはビアフラ戦争の暗影が濃い。だが,グギが《拘禁--一作家の獄中記》(1981)で,アーマが《二千の季節》(1973),《療術師たち》(1978)で試みたような民衆史再定義の動きは,うっ屈した現状の歴史的根源をとらえ直し,これまでのアフリカ史観に根本的変換を迫るもので,アフリカ文学の新たな方向がすでに切り拓かれつつあるのは明るい兆しである。なお,女流作家としてサザランドEfua Sutherland(1924-96),オゴトGrace Ogot(1930- ),ヌワパFlora Nwapa(1931-93),ヘッドBessie Head(1937-86),アイドゥAma Ata Aidoo(1942- ),エメチェタBuchi Emecheta(1945- )らがいるほか,児童文学も盛んになってきた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アフリカ文学」の意味・わかりやすい解説

アフリカ文学
アフリカぶんがく
African literature

一般にサハラ以南アフリカ地域の,おもにニグロイド系作家による文学をさす。アフリカ文学は,民族諸言語を使って本来的に口頭で語られる口承文学 oral literature; orature(→口承文芸)と,文字を媒体とする書記文学 literatureに区分される。書記文学は,各国の公用語(通常は英語,フランス語,ポルトガル語など旧宗主国の言語)のほか,各国各地域の民族諸言語でも書かれる。口承文学には,神話,伝説昔話歌謡,そのほかの言語遊戯が含まれる。バンツー語圏(→バンツー諸語)では野うさぎ,西アフリカ各地ではリスやクモなどのトリックスターが活躍する昔話が知られる。一方,書記文学の場合,7世紀以降ヨーロッパ人の到来までにイスラムの伝播とともに書記文学の伝統が根づいたスワヒリ語ハウサ語(→ハウサ文学)などの場合を除けば,現代アフリカ書記文学の大部分は植民地解放,民族自決を掲げた 20世紀ナショナリズムの副産物でもあった。
英語で書く代表的な作家としては,ナイジェリアのチヌア・アチェベ,ウォーレ・ショインカケニアグギ・ワ・ジオンゴ(のちキクユ語で執筆),南アフリカ共和国のエスキア・ムパシェーレらがいる。フランス語で書く代表的な作家は,セネガルのレオポルド・セダール・サンゴールセンベーヌ・ウスマンカメルーンのモンゴ・ベティなど。彼らの多くがアフリカ文学を世界の舞台に押し上げ,ノーベル文学賞候補にあがった。民族諸言語で書かれる文学ではスワヒリ語によるものが質・量ともほかを圧倒している。なかでもタンザニアは現代スワヒリ文学を主導し,シャアバン・ビン・ロバートが詩,小説,自伝,エッセーなど全作品をスワヒリ語で発表,現代文学の伝統をスタートさせた。女性作家の台頭も顕著で,ガーナのアマ・アタ・アイドゥ,南アフリカ共和国のベッシー・ヘッド,ナイジェリアのフロラ・ンワパ,ケニアのグレース・オゴト,セネガルのマリアマ・バーなどを第一世代に,ナイジェリアのブチ・エメチェタコートジボアールのベロニク・タジョなどが活躍している。ノーベル文学賞を受賞したアフリカの作家は,1986年受賞のショインカ,1991年受賞のユダヤ系白人,ナディン・ゴーディマ,2003年受賞のオランダ系白人,J.M.クッツェーで,3人とも英語で執筆。(→ネグリチュード南アフリカ文学

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