アブハジア自治共和国(読み)アブハジア

改訂新版 世界大百科事典 「アブハジア自治共和国」の意味・わかりやすい解説

アブハジア[自治共和国]
Abkhaziya

カフカスグルジア共和国内の北西部を占める自治共和国。旧ソ連邦の下ではアブハジア自治ソビエト社会主義共和国であった。面積8600km2,人口17万8600(2004),首都はスフミ大カフカス山脈の西端に位置するため,大半が黒海に向かって斜面をなす山岳地帯で,わずかに黒海沿岸に平野がある。

 アブハジア人(自称アプスア人)は現在この自治共和国のほか,アジャリア自治共和国,トルコ等に居住。前11世紀のアッシリア文献にその祖先が言及されている,黒海沿岸の最古の住民の一つ。アブハジア語は,アバジン語,アディゲ語とともにカフカス諸語の北西グループを形成する。歴史的に西グルジア諸民族の強い影響を受けており,6世紀から正教キリスト教),15世紀からイスラムスンナ派が流布した。自治共和国の民族構成(1989)は,グルジア人45.7%,アブハジア人17.8%,次いでアルメニア人14.6%,ロシア人14.2%等。

旧石器時代,新石器時代,青銅器時代の遺跡もあり,古くから人類の居住が知られる地域であるが,前6~前5世紀には古代国家コルキス王国の一部となり,黒海沿岸にギリシア植民地ができる。ギリシア・ローマ世界と深い交渉を持ち,6世紀ビザンティン帝国の支配下に入り,キリスト教化される。8世紀末アブハジアのレオン2世は西グルジアのビザンティンからの解放闘争を領導し,西グルジア一帯と東グルジアの一部を統一したアブハジア王国(首都クタイシ)を建設した。17~18世紀にかけて諸国家の興亡,統一,分裂の中でトルコの支配を受けたが,1810年ロシア帝国に併合され,64年ロシア帝国の行政支配機構に直接組みこまれて〈スフミ軍区〉となった(〈カフカス〉の項目参照)。過酷な植民地支配と封建的抑圧に対する抵抗も行われ,その最大のものが66年のアブハジア蜂起であった。ロシアの十月革命の後,1918年3月には武装蜂起が行われ,4月スフミを占領してソビエト権力の樹立を宣言した。しかし5月になるとグルジアのメンシェビキ軍がこれを攻撃してスフミは陥落内戦期にはデニキン軍のザカフカス侵攻をうけた。21年2月ティフリス(現,トビリシ)でのソビエト権力の樹立後,3月4日スフミでソビエト権力の樹立を宣言し,独立のソビエト共和国を形成したが,同年12月グルジア共和国に加わった。

 アブハジアのグルジア離脱,ロシア編入を要求するアブハジア人の運動は1957年以来繰り返され,89年7月スフミで民族衝突が勃発した。92年3月シェワルナゼがグルジアの政権を握ると,アブハジア独立運動の活発化,ガムサフルディア大統領派の反攻で,西グルジアは三つ巴の内戦となる。7月アブハジア最高会議が〈アブハジア共和国〉を宣言,8月グルジア軍がスフミに侵攻,戦闘は激化した。ロシアとグルジアの交渉,相互非難を経て,93年7月グルジア,アブハジア,ロシアによる停戦協定が結ばれたが,ふたたび大統領派との内戦が激化し,シェワルナゼはロシアとの提携に転じた。94年4月グルジア,アブハジアの停戦協定が結ばれ,7月国連安保理はグルジアへのロシア軍の展開を平和維持軍として認めた。11月アブハジアは新憲法採択,大統領選出,独立宣言を行った。

 産業面では,石炭はグルジア共和国の40%を産出炭田と発電所を持つトクバルチェリがその中心である。食品加工,皮革,木材加工,機械等の工業が発展している。黒海沿岸部ではその亜熱帯性気候を利用して茶,ミカン・レモン等のかんきつ類,果物,ブドウの栽培が盛んであり,山岳地帯ではタバコが栽培され,牛の放牧を主とする畜産が行われている。スフミ,トクバルチェリが経済の二大中心。スフミ,ガグラ,グダウタ,ノーブイ・アフォン,ピツンダ等の黒海沿岸の諸都市は,旧ソ連屈指の保養地として内外に名高い。
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アブハジア〔自治共和国〕
アブハジア

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