アメリカ大リーグ(読み)アメリカだいリーグ

改訂新版 世界大百科事典 「アメリカ大リーグ」の意味・わかりやすい解説

アメリカ大リーグ (アメリカだいリーグ)

アメリカ合衆国のプロ野球組織の頂点にはメジャー・リーグmajor league(大リーグ)があり,それは,アメリカン・リーグ(1900年創立,略称ア・リーグ)14,ナショナル・リーグ(1876年創立,略称ナ・リーグ)16の計30球団によって構成されている。

 ア・リーグ,ナ・リーグともそれぞれ東部・中部西部の3地区に分かれ,1シーズンのリーグ戦を戦う。全試合の約半数を本拠地球場(フランチャイズ球場)で戦い,残りは対戦相手の本拠地に遠征する。このようなレギュラー・シーズンが終了すると,すぐにワールド・チャンピオンをめざし熾烈(しれつ)なトーナメント戦が開始される。まず,ア・リーグ,ナ・リーグごとに,3地区の優勝チームと各地区2位チームの中で最高勝率を上げたチーム(ワイルドカード)の計4チームが2チームずつに分かれ,5回戦制のディビジョンプレー・オフを行う。続いて,これを勝ち抜いた同リーグ2チームが7回戦制のリーグ・チャンピオンシップを戦い,リーグ・チャンピオンを決定する。最後にリーグ・チャンピオン同士で7回戦制のワールド・シリーズを戦い,ワールド・チャンピオンを決定する。

大リーグの歴史は19世紀にさかのぼるが,現在のようなリーグ組織が整ったのは1900年以降である。これを近代大リーグと称して,記録面でもそれ以前と区別して取り扱っている。近代大リーグは当初,両リーグとも8球団ずつでスタートした。本拠地を置く都市やニックネームが変わった球団もあるが,その後,1960年代に2度にわたり両リーグとも2球団ずつ増え,東西2地区制となり,94年からは東部・中部・西部の3地区制になっている。また,77年にはア・リーグにシアトル・マリナーズトロント・ブルージェイズが,93年にはナ・リーグにフロリダ・マーリンズコロラド・ロッキーズが加わった。さらに98年のシーズンからは,タンパベイ・デビルレイズ(ア・リーグ)とアリゾナ・ダイヤモンドバックス(ナ・リーグ)の2球団が加わり,リーグ・地区間の球団移動も一部行われて,ア・リーグ14,ナ・リーグ16の計30球団となった。この30球団はそれぞれその傘下ファームと呼ばれる二軍組織を抱えている。大リーグに近い方から,3A(スリーA),2A,A(ワンA),ルーキーの各リーグに分けられており,これらの総称がマイナー・リーグminor leagueである。マイナー・リーグもそれぞれのクラスごとに,地域的に数球団ずつ振り分けられてリーグ戦を行っている。例えばロサンゼルス・ドジャースはその下にアルバカーキ・デュークス(3A),サンアントニオ・ドジャース(2A),ローダイ・ドジャース(A),ベロビーチ・ドジャース(A),レスブリッジ・ドジャース(ルーキー)のファーム5球団を抱えている。

 合衆国での野球人気は,開催シーズンの違いはあるがアメリカン・フットボールに匹敵し,根強いものがある。一時は伸び悩んでいた選手の報酬も,大リーグ在籍6年以上の選手に対し,移籍を希望する権利を与えるフリーエージェント制度free agent(FA制度)ができ,選手の言い分が球団に認められるようになってから再び上昇した。しかし,このフリーエージェント制度の更改交渉をめぐり,球団経営者と選手協会が対立を続け,81年には2ヵ月間にわたり選手協会がストライキを決行,計714試合が中止された。94年にも,労使協定更改交渉のもつれからシーズン途中の8月に選手協会がストライキに突入し,ワールド・シリーズが90年振りに中止となった。

 アメリカ大リーグが日本のプロ野球に与えた影響は大きいが,その相違点も多い。体力の差がプレーに現れ,投球・打球の飛距離やスピード,野手の肩の強さ,足の速さなどは,以前よりは差は縮まったものの,まだ日本の選手より大リーグの選手の方が優れているといえよう。機構的にはマイナー・リーグの充実ぶりがあげられる。日本では一軍,二軍ともほぼ同数の選手を抱え,優秀なアマチュア選手はプロ入りしてすぐに一軍で活躍する場を与えられるが,大リーグ入りしたルーキーは,まず4段階に分かれたファーム組織のきびしい競争を勝ち抜かなければならない。しかも大リーグとマイナー・リーグとでは報酬も含めたあらゆる待遇面で雲泥の差があり,マイナー・リーグの選手たちは上に上がろうと必死になり,大リーグに昇格した選手たちは日本では考えられないほどのプライドをもつことになる。また審判員の差が実際の試合に与える影響も見逃せない。伝統と審判協会の保護の下,大きな権限を与えられた大リーグ審判員の的確な判定と対応は,抗議のたびに試合中断を繰り返す日本のプロ野球の見習うべき点といえよう。

 近年,大リーグでも多くの日本人選手が活躍している。とくに野茂英雄投手は,95年にロサンゼルス・ドジャースに入団して13勝をあげ,ナショナル・リーグ新人王(ルーキー・オブ・ザ・イヤー)に輝くなど,さきがけ的役割をはたした。97年には野茂に続き,長谷川滋利,柏田貴史,伊良部秀輝が入団した。その後,マック鈴木,吉井理人,イチロー,佐々木主浩,新庄剛志,松井秀喜ら日本人選手が大リーグ入りし,活躍が目だつようになった。

1901年にアメリカン・リーグが正式に大リーグとして誕生して以来,ナショナル・リーグとの間に対立が続いた。こうした対立を抑え,両リーグの間に対等の資格・権利を保持する機関として03年にナショナル・コミッションが誕生,委員長と両リーグ会長の3人で運営に当たった。20年,初代委員長オーガスト・ハーマン(レッズのオーナー)の辞任に伴い,その前年の大がかりな八百長事件(ブラックソックス事件)で失墜した大リーグへの信頼を回復するねらいもあって,連邦裁判所判事ケニス・M.ランディス(1866-1944)を委員長に迎え,彼を野球界で絶対の権力をもつ初代コミッショナーとした。大リーグの最高統括者としてコミッショナーを置き,その下に両リーグが位置し,さらにその下に多くのマイナー・リーグが存在するピラミッド・スタイルはこのときに完成した。日本のプロ野球も大リーグにならい,51年よりコミッショナーを置いている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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