アラン ドロン(英語表記)Alain Delon

現代外国人名録2016 「アラン ドロン」の解説

アラン ドロン
Alain Delon

職業・肩書
俳優,映画プロデューサー

国籍
フランス

生年月日
1935年11月8日

出生地
パリ郊外ソー

勲章褒章
レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ章〔1990年〕, レジオン・ド・ヌール勲章オフィシエ章〔2005年〕

受賞
セザール賞主演男優賞〔1984年〕「真夜中のミラージュ」,ベルリン国際映画祭金熊名誉賞〔1995年〕

経歴
両親の離婚里子に出され、暗い少年時代を送る。17歳で海兵隊志願、インドシナ戦線に従軍。1954年除隊、’57年「女が事件にからむ時」で映画デビュー。’58年「恋ひとすじ」で共演したロミー・シュナイダーとの婚約・解消などで世間を賑わす。’59年ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」、’60年ルキノ・ヴィスコンティ監督の「若者のすべて」でスターの地位確立。’64年にはプロダクションを設立、「ボルサリーノ」(’70年)、「パリの灯は遠く」(’76年)などを製作。’78年にはブランド品を扱うADD(アラン・ドロン・ディフュージョン)を設立し実業家としても成功。’81年には「危険なささやき」で監督業に進出した。他の出演作に「お嬢さんお手やわらかに」(’58年)、「太陽はひとりぼっち」(’62年)、「地下室のメロディー」(’63年)、「山猫」(’63年)、「冒険者たち」(’66年)、「パリは燃えているか」(’66年)、「サムライ」(’67年)、「さらば友よ」(’68年)、「シシリアン」(’69年)、「仁義」(’70年)、「暗殺者のメロディ」(’72年)、「スコルピオ」(’72年)、「アラン・ドロンのゾロ」(’75年)、「スワンの恋」(’84年)、「ヌーヴェル・ヴァーグ」(’90年)、「カサノヴァ最後の恋」(’92年)、「Les Acteurs」(2000年)などがある。また、舞台やテレビドラマにも多数出演。美術品のコレクターとしても有名。1999年スイスの市民権を取得。’64年ナタリー・バルテルミーと結婚するが’69年離婚。その後はミレーユ・ダルクと同棲。ナタリー・ヴァン・ブレーメンとは2人の子供をもうけた。戦後フランス映画界を代表する美男の大スターの一人で、中年期後はフランスのサスペンス映画やギャング映画での地位を不動のものとした。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「アラン ドロン」の解説

アラン ドロン
Alain Delon


1935.11.8 -
フランスの俳優。
パリ近郊ソー生まれ。
インドシナ戦線に従軍後、世界各地を放浪し、1957年映画界にデビュー。’59年の「太陽がいっぱい」でその人気を不動のものとし、作品的にも恵まれクレマン、アントニオーニらの名監督の作品に出演。’64年にナタリーと結婚し、息子を儲けたが、後に離婚。その後、「冒険者たち」(’66年)、「さらば友よ」(’68年)などに出演し、「Notre histoire」(’84年)でセザール賞主演男優賞を受賞。近年はプロデューサー、監督としても活躍。ナタリーとの息子アントニーも俳優として映画出演している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「アラン ドロン」の解説

アラン ドロン

生年月日:1935年11月8日
フランスの俳優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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