アリステイデス
Aristeidēs
生没年:?-前467ころ
〈正義の人〉とたたえられた古代アテナイの政治家,将軍。前6世紀末のクレイステネスの改革に参与し,さらに前490年のマラトンの戦では将軍としてミルティアデスを助け,ライバルのテミストクレスと戦列に肩をならべて戦った。戦後まもなく首席アルコン(最高官)の職にえらばれたが,民主派のテミストクレスと張りあったすえに陶片追放の憂き目にあう。このとき陶片に,彼の名を書いてくれと田舎出の文盲の市民にせがまれて代筆をしたという逸話が伝えられている。しかし2年ののち,ペルシア王クセルクセスの侵入にさいして呼び戻され,テミストクレスを助けて戦いを勝利にみちびく。プラタイアイの戦(前479)ではアテナイ軍の指揮をとった。翌年ひきつづくペルシアとの戦いに,アテナイ艦隊の司令官としてキモンと共に送りだされて功業をたてた。そしてデロス同盟が結ばれると,同盟国の公正な貢納額を査定して名をあげた。
執筆者:安藤 弘
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「アリステイデス」の意味・わかりやすい解説
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アリステイデス
Aristeidēs
前520ごろ〜前468ごろ
アテネの政治家・将軍
マラトンの戦いに参加し,前489年アルコン(執政官)となったが,海軍強化を説くテミストクレスと建艦問題で意見があわず,オストラシズムで追放(前483)となった。2年後大赦で帰国し,サラミスの海戦に参加。プラタイアの戦いではアテネの最高司令官であった。前478(または477)年デロス同盟の結成に大きな役割を果たした。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
アリステイデス
Aristeidēs
前5世紀のギリシアの政治家,将軍。テミストクレスの政敵。オストラシズム (陶片追放) でアテネから追放されたがペルシア勢侵入の直前大赦を得て帰国し,サラミスの海戦ではテミストクレスを助けた。その正直さは有名で,デロス同盟の年賦金額の決定という大任を公正に果たした。
アリステイデス
Aristeidēs
2世紀のアテネの有力なキリスト教護教家。ローマ皇帝ハドリアヌスにあてて,キリスト教弁証論を書いた。護教論としては最初期のもので,以後の弁証論の先駆をなす。この書のシリア語版およびギリシア語版はそれぞれ 1889,91年に発見されている。
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