アルフォンソ6世(英語表記)Alfonso Ⅵ

改訂新版 世界大百科事典 「アルフォンソ6世」の意味・わかりやすい解説

アルフォンソ[6世]
Alfonso Ⅵ
生没年:1040-1109

レオン国王(在位1065-1109),カスティリャ国王(在位1072-1109)。父王からレオン王国を継承したが,兄のカスティリャ王サンチョ2世に追われて,当時イスラム王国だったトレド亡命,兄の死後レオン,カスティリャ両国の王位についた。兄の筆頭家臣だったエル・シッドとの不和から,史料での評価は芳しくないが,現実の王は祖父以来のヨーロッパ接近策を継承促進して,国土回復戦争のための背後の守りを固め,また典礼統一をはじめとするローマ教皇庁の意向にこたえて自らの立場を強化するなど,優れた外交感覚の持主だった。だが,その一方では巧みな攪乱策でトレドに無血入城した(1085)ものの,これに対するアンダルス(イスラム支配地域)の諸王の反応を読み違えて翌年北アフリカからの大規模な反撃を招き,一転して苦境に立たされた(ムラービト朝)。王はヨーロッパ諸国に来援を求め,またアンダルス諸王と北アフリカ軍の不信を煽るなどして事態に対処したが,最終的な解決を見ずに死んだ。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアルフォンソ6世の言及

【トレド】より

…彼らはやがて後述の翻訳事業でかけがえのない役割を果たす一方,二つのシナゴーグに紛うかたない自分たちの足跡を残していった。 1085年,カスティリャ王アルフォンソ6世の軍勢に包囲されたトレドは,もはや抵抗がむだなことを悟って無血開城した。しかし,アル・アンダルスの他の王たちはこの事態に危機感を深め,北アフリカの同胞に来援を求めた(ムラービト朝)。…

【マドリード】より

…両地域の交通は,現在のマヨール通りの起点の所にあった橋によって行われた。 1083年,アルフォンソ6世がマドリードを最終的にキリスト教徒の手に回復し,セゴビアの自治体が再植民を行った。1202年にマドリードの都市特権(フェロ)が発布され,市の紋章(熊は自治体,ヤマモモは村villaを表す)も決められた。…

※「アルフォンソ6世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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