アルメニア(国)(読み)アルメニア

百科事典マイペディア 「アルメニア(国)」の意味・わかりやすい解説

アルメニア(国)【アルメニア】

◎正式名称−アルメニア共和国Hayastani Hanrapetut'yun/Republic of Armenia。◎面積−2万9743km2。◎人口−302万人(2014)。◎首都−エレバンYerevan(107万人,2014)。◎住民−アルメニア人97.9%,クルド人1.3%,ロシア人0.5%など(2001)。◎宗教キリスト教(アルメニア正教)。◎言語−アルメニア語(公用語),ロシア語。◎通貨−ドラムDram。◎元首大統領,サルグシャン Serzh Sargsyan(1954年生れ,2008年2月選出,2013年2月再選,任期5年)。◎首相−オビク・アブラハミャンHovik Abrahamyan(2014年4月就任,任期5年)。◎憲法−1995年7月国民投票で承認,2005年11月改正。◎国会−一院制(定員131,任期5年)。最近の選挙は2012年5月。◎GDP−119億ドル(2008)。◎1人当りGNP−1989ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−14%(1997)。◎平均寿命−男71.3歳,女78.0歳(2013)。◎乳児死亡率−18‰(2010)。◎識字率−99%以上(2008)。    *    *西アジア,カフカス南部の共和国。旧ソ連の中では最小の共和国であった。国土大部分小カフカス山脈に囲まれたアルメニア高原で,南部国境のアラス川流域,首都エレバン周辺が農業地帯となっている。住民の約9割がアルメニア人で,ほかにロシア人,クルド人など。アルメニア語は印欧語族に属するが,その系統は明らかにされていない。宗教上はアルメニア教会の古い伝統がある。水力資源鉱物資源は豊富で,化学・食品工業などが行われる。 アルメニア地方は長い間,トルコイランの勢力争いの場となり,18世紀にはロシアが南下してきた。ロシアは19世紀初めの対イラン戦争の後,1828年にトルコマンチャーイ条約で東アルメニアを併合した。ロシア十月革命後,1920年ソビエト政権が確立,1922年ソ連邦結成に参加,1936年単独で連邦構成共和国となる。1991年独立。隣接するアゼルバイジャン共和国のナゴルノ・カラバフ自治州は住民の7割強がアルメニア系で,ペレストロイカ期の1980年代後半からアルメニアへの帰属替えを求める運動が高揚し,1991年から武力衝突にいたったが,1994年一応の停戦合意が成立した。2003年,世界貿易機関WTO)に加盟
→関連項目ナヒチェバンホバネス

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