アンダーソン(Benedict Anderson)(読み)あんだーそん(英語表記)Benedict Anderson

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アンダーソン(Benedict Anderson)
あんだーそん
Benedict Anderson
(1936―2015)

アメリカの東南アジア研究者、ナショナリズム研究者。アイルランド人の母とイギリス人の父のもと、中国の雲南省昆明に生まれる。1941年の夏、家族と中国を出るが、第二次世界大戦中のためアメリカ、カリフォルニアへ渡り、1945年にアイルランドへ移る。1957年にイギリスのケンブリッジ大学古典を学んだ後、アメリカのコーネル大学インドネシア研究を専攻。その後同大学の政治学・アジア研究教授、東南アジア研究所所長、名誉教授

 アジア・アフリカで脱植民地化の動きが始まった1960年代から日本とオランダ領東インド(現インドネシア)との関係、とくに日本軍による1942年から1945年のインドネシア軍政に関する研究を始める。その後1945~1949年のインドネシア革命について研究を進めるために1961年にジャカルタへ行き、フィールドワークを開始。

 1965年の「九月三〇日事件」(陸軍首脳が拉致殺害された事件)をインドネシア共産党のクーデターとするスハルト政権側の公式見解を批判し、「不平をもつ陸軍若手将校の反乱であり、スハルトらは共産党潰しのためにこの事件を利用した」と結論づけたため、インドネシア当局の激しい反発を受け、1972年にインドネシアから追放された。アンダーソンは、この九月三〇日事件を転機としてインドネシアのナショナリズムが変質していく過程を、世界史的な枠組みなかでとらえ直す。その後もエーリッヒ・アウエルバハ、ワルター・ベンヤミン、ビクター・ターナーの深い影響のもと、言語、文化、メディア、表象を通してナショナリズムについて考察し、『想像の共同体』Imagined Communities(1983)を発表。同書において国民とは社会的、政治的な実体ではなくて、「イメージとして心に描かれた想像の政治共同体」であるという議論を展開、国民国家の分析に新たな地平を拓いた。とくに近代小説の成立や出版資本主義による俗語の流布がナショナリズムを構成する契機となったと指摘した。アンダーソンは、近代社会への移行期に登場した俗語革命(それまで俗語でしかなかった各地方の言語がラテン語等の公式言語にとってかわったこと)が国家語の成立に結びつき、さらに近代の「均質で空虚な時間」(ベンヤミン)に支配された国家語による新聞や小説によって、ばらばらな個人が「同時代性」を共有し、国民という集団の想像的なアイデンティティが形成されてきた点を考察した。また、こうした言語中心ナショナリズムだけでなく、同時に南北アメリカのクレオール共同体でのナショナリズムについても検討している。アンダーソンが提唱した「想像の共同体」は、多くの学問領域を横断して、国民国家、ナショナリズム、グローバリゼーション、ディアスポラ(もともとはユダヤ人の離散を示す言葉だが、1980年代以降の文化研究、社会理論、ポスト・コロニアリズムの文脈において新たな意味を獲得している。自らの起源(ルーツ)からの離脱、あるいは流浪の身にありながら、依然として自らのルーツに文化的、政治的、倫理的な強い結びつきをもち、それによって社会的連帯を志向する人々およびその概念)等を論じるうえでの重要なキーワードになっている。

 ほかにも、『革命時代のジャワ』Java in a Time of Revolution(1972)、『鏡のなかで』In the Mirror; Literature and Politics in Siam in the American Era(1985)、『言葉と権力』Language and Power(1990)等、インドネシア、タイ研究に関する多数の著書がある。『言葉と権力』は権力、言語、意識の三部からなり、30年にわたるインドネシア研究の総括としてインドネシアにおけるナショナリズムの成立と変質が探求されている。

[清水知子]

『中島成久訳『言葉と権力――インドネシアの政治文化探求』(1995・日本エディタースクール出版部)』『白石さや・白石隆訳『想像の共同体』(1997・NTT出版)』『白石隆著「『最後の波』のあとに」(『岩波講座現代社会学24 民族・国家・エスニシティ』所収・1996・岩波書店)』『アーネスト・ゲルナー著、加藤節監訳『民族とナショナリズム』(2000・岩波書店)』『姜尚中著『ナショナリズム』(2001・岩波書店)』『E・J・ホブズボーム著、浜林正夫ほか訳『ナショナリズムの歴史と現在』(2001・大月書店)』『大澤真幸編『ナショナリズム論の名著50』(2002・平凡社)』『ヴァルター・ベンヤミン著、浅井健次郎編訳・久保哲司訳「歴史の概念について」(『ベンヤミン・コレクションⅠ』所収・ちくま学芸文庫)』『姜尚中・森巣博著『ナショナリズムの克服』(集英社新書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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