アーガームハンマドハーン(英語表記)Āqā Muḥammad Khān

改訂新版 世界大百科事典 の解説

アーガー・ムハンマド・ハーン
Āqā Muḥammad Khān
生没年:1742-97

カージャール朝創始者。1758年,父の暗殺によりカスピ海南東部に勢力を張るカージャール族の族長となる。しかし,まもなくザンド朝人質として取られ,シーラーズ宮廷で幽閉生活を送る。79年,ザンド朝のカリーム・ハーンの死によって故郷に逃げ帰り,反ザンド朝戦争を組織し,カージャール朝を興した。97年,暗殺される。政治家,軍人としては優れていたが,幼時に去勢されたため性格猜疑心が強く,残虐であった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアーガームハンマドハーンの言及

【カージャール朝】より

…その後,辺境防備のためカスピ海南東のゴルガーン地方に移された。1779年,族長アーガー・ムハンマド(モハンマド)・ハーンザンド朝のカリーム・ハーンを倒してイランを統一し,86年テヘランを首都に定めた。カージャール朝の国家構造は遊牧分封制的で,一族を地方知事に任命し,軍人には分与地(トゥユール)を与えた。…

※「アーガームハンマドハーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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