アーチェリー(読み)あーちぇりー(英語表記)archery

翻訳|archery

精選版 日本国語大辞典 「アーチェリー」の意味・読み・例文・類語

アーチェリー

〘名〙 (archery) 洋弓。西洋式の弓矢を使うスポーツ

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デジタル大辞泉 「アーチェリー」の意味・読み・例文・類語

アーチェリー(archery)

西洋式の弓。洋弓。また、それを用い、的を射て得点を競う競技。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アーチェリー」の意味・わかりやすい解説

アーチェリー
あーちぇりー
archery

語源はラテン語のarcusで、弓という意味。広義ではあらゆる種類の弓、および弓を引くことを意味する。狭義では日本古来の弓道(和弓)と区別して洋弓と訳し、メディタレニアン・スタイル(地中海型)の射法の弓術をさす。世界の弓の射法を大別すると、このほか、ピンチ・スタイル(南方型)、モンゴリアン・スタイル(蒙古(もうこ)型)を加えて3種類に分類されている。メディタレニアン・スタイルの射法は、人差し指・中指・薬指の三つ指で弦を引き矢は弓の左側につがえる。ピンチ・スタイルの射法は、つまみ引きで矢は弓のどちらにつがえてもよい。モンゴリアン・スタイルの射法は、親指で弦を引き矢は弓の右側につがえる(左側につがえる場合もある)。日本の弓道はモンゴリアン・スタイルに属する射法であり、弓の右側に矢をつがえる。

[高柳憲昭 2019年7月19日]

歴史

弓矢がいつ発明されたか確かではないが、考古学者によれば、猿人、原人の段階では弓矢の使用を知らなかったといわれる。スペイン南東部の洞窟(どうくつ)壁画には弓矢がはっきりと描かれており、約1万年前のものと推定され、史実としては最古のものである。弓矢の発明は明らかに人類の歴史における文化的向上を示すものであり、火の発見、言語の発達とともに人類の生存と繁栄に大きな役割を果たした。もっとも弓矢は狩猟のためばかりでなく、16世紀に鉄砲が出現するまで、戦いの武器として重要なものであった。鉄砲の出現とともに弓矢は武器としての価値が薄れ一時衰退したが、やがてイギリスを中心にスポーツとして発達した。なかでもヘンリー8世(在位1509~1547)は熱心なアーチェリー愛好者であった。18世紀後半にアメリカにも普及し、以後各国で盛んになっていった。

 1931年国際アーチェリー連盟Fédération Internationale de Tir à l'Arc(FITA。現、世界アーチェリー連盟World Archery:WA)が結成され、ターゲット・アーチェリー(射場で行う競技)の世界大会が2年ごとに行われるようになった。フィールド・アーチェリー(野外で行う競技)も1936年から、ターゲット・アーチェリーの開催日と重ならないように世界大会が行われている。日本には1939年(昭和14)菅重義(すがしげよし)(1889―1977。当時読売新聞記者)によって紹介され、1966年(昭和41)全日本アーチェリー連盟All Japan Archery Federation(AJAF)発足後、急速に普及していった。

 オリンピックでは、1900年第2回パリ大会において初めて競技が行われた。1920年第7回アントワープ(ベルギー)大会以降は競技種目から除外されていたが、1972年第20回ミュンヘン大会で52年ぶりに正式種目として復活した。日本選手では、1976年のモントリオール大会で道永宏(みちながひろし)(1956― )が銀メダル、1984年のロサンゼルス大会で山本博(やまもとひろし)(1962― )が銅メダル、2004年(平成16)のアテネ大会で同じく山本が銀メダル、2012年のロンドン大会で古川高晴(ふるかわたかはる)(1984― )が銀メダル、川中香緒里(かわなかかおり)(1991― )、小林美貴(こばやしみき)(旧姓、蟹江(かにえ)。1988― )、早川漣(はやかわれん)(1987― )が女子団体で銅メダルを獲得している。

[高柳憲昭 2019年7月19日]

用具

弓bow(1張(はり))、矢arrow(3本1組)、チェストガードchestguard(胸当て)、アームガードarm guard、グローブgloveまたはタブtab、ボウスリングbow slingまたはフィンガースリングfinger sling(手から弓が飛び出さないようにするための紐(ひも))、クィーバーquiver(矢入れ)、サイトsight(照準器)、スタビライザーstabilizer(安定器)、ボウケースbow case(弓矢を入れるもの)などが基本用具である。

[高柳憲昭 2019年7月19日]

射法と基本動作

アーチェリーでは、1本の矢を射るまでの一連の動作を、スタンス(足構え)、セット(胴構え)、ノッキング(矢つがえ)、セットアップ(射(う)ちおこし)、ドローイング(引き分け)、フル・ドロー(会(かい)。十分に引き分けを終えた状態)、リリース(離れ)、フォロースルー(残身)の8節に分けることができる。正確な動作に加えて、コンセントレーション(精神集中)がとくに必要とされる。また、体力に応じた弓を使用すれば、老若男女を問わずだれでも手軽にできるスポーツである。

[高柳憲昭 2019年7月19日]

競技方法

WA競技規則には次の4種目の競技がある。

(1)ターゲット・アーチェリー 平坦な射場で、ターゲット(標的)をねらって行射して得点を競う競技。この競技にはアウトドア・アーチェリーとインドア・アーチェリーがあり、使用する弓の形状により、リカーブ(サイトやスタビライザーを装着した、リムの先端が逆反りした弓)とコンパウンド(リムの先端についた滑車により、引き重量が軽くなる弓)の2部門に分かれる。アウトドア・アーチェリーを一般にターゲットといっている。男子では90・70・50・30メートル、女子では70・60・50・30メートルの各四つの距離から、36本ずつ計144本の矢を射て1ラウンドとし、シングルラウンドまたはダブルラウンドの合計得点で勝負を決める。

 オリンピック競技ではすべての種目が現在70メートル(122センチメートル標的面を使用して72射)、ターゲット・アーチェリーのみで行われ、個人戦(男子、女子)と団体戦(男子、女子、ミックス)がある。個人戦は1対1のマッチ戦のトーナメント方式で、1セット3射を20秒以内に交互に1本ずつ射ち、最大5セット行う。1セットにつき、得点の高いほうの選手に2ポイント、同点のときはそれぞれ1ポイントが与えられ、6ポイント先取したほうが勝利、同点のときはシュートオフタイブレーク)により勝者を決定する。団体戦は、男子・女子はそれぞれ3人1組で、1セット6射を2分以内、ミックスは男女1組で、1セット4射を80秒以内に各自2本ずつ射ち、最大4セット行う。1セットにつき、得点の高いほうの選手に2ポイント、同点のときはそれぞれ1ポイントが与えられ、5ポイント先取したほうが勝利、同点のときはシュートオフにより勝者を決定する。得点は中心を10点とし、外側へ向かって1点ずつ少なくなる。標的の中心部分にもうひとつ小さな輪のinner10(インナーテン)が設けられ、得点は10点であるが同得点の場合、inner10に的中した数で競われることになる。

 インドア・アーチェリーは、25メートルでは60センチメートル標的面を使用し60射する。18メートルでは40センチメートル標的面を使用し60射する。複合インドア・アーチェリーは25メートルと18メートルをこの順序で連続して行う。

(2)フィールド・アーチェリー 山野の地形を利用して、野外に設置した標的を順番に回りながら行射して得点を競う競技。使用する弓の形状により、ベアボウ、リカーブ、コンパウンドの3部門に分かれる。ベアボウは、形状はリカーブと同じであるが、サイトやスタビライザーをつけていない単純な状態の弓(裸弓)を使用する。マークコース(距離が定まっている)とアンマークコース(距離がわからなくしてある)の2種類のコースがある。アンマークコースは公式戦の際に特設されるのが普通で、伏せられた距離を正確によみとる必要がある。距離に応じて20・40・60・80センチメートルの的を使う。各コース12標的または24標的を3射する。キャデットベアボウ(17歳以下のベアボウ部門)の射手の場合、黄色のポスト(発射位置)で行射する。青色のポストでは、ベアボウとキャデットリカーブ(17歳以下のリカーブ部門)と、キャデットコンパウンド(17歳以下のコンパウンド部門)の射手が行射する。また赤色のポストではリカーブとコンパウンドの射手が行射する。アンマークコースの最長距離は55メートル、マークコースは60メートルである。なお標的面も得点帯の色は黄色(6・5点)と黒色(4・3・2・1点)に分かれるが、黄色の分割線は1ミリメートル以下の黒線、また黒色の分割線は1ミリメートル以下の白線で、分割線に的中した得点は高いほうの得点帯に含まれる。

(3)クラウト・アーチェリー 男子165メートル、女子125メートルの距離から、地面に描かれた直径15メートルの標的に向けて射る競技で、射数は36本。

(4)フライト・アーチェリー 最大飛行距離をねらう競技で、矢は6本。

 なお、(3)と(4)は日本ではほとんど行われていない。

[高柳憲昭 2019年7月19日]

『高柳憲昭著『みんなのアーチェリー』(2007・学習研究社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「アーチェリー」の意味・わかりやすい解説

アーチェリー
archery

西洋で発達した弓術。日本では,古来より武道として独自に発達した弓道があるため洋弓の語も用いた。

〈弓〉の歴史は目的からたどれば世界共通であり,狩猟に始まり,武器に発展し,現在のようにスポーツとなった。アーチェリーはメディタレニアン型(地中海型)と称して,3本指の第1関節に弦をかけて引く射法で,東洋の親指に弦をかけて引くモンゴリアン型とおおいに異なる。地中海周辺を中心に,ヨーロッパ各地から出土する弓および矢じりから判断して,その歴史は旧石器時代後期にさかのぼることは定説となっている。古代ギリシアは重装歩兵を主力にして対敵したが,進攻してくるペルシアの弓兵隊に悩まされた。ローマ帝国は,東方騎馬民族の弓兵を採り入れ,軍制の中でも重要なポストに据えた。中世フランスでは弩弓(どきゆう)を積極的に採用し,イギリスは長弓隊を採り入れた。長弓隊はしばしば戦闘の勝敗を決定したため,イギリス王室の庇護(ひご)を受け発展した。やがて火器の発達により武器としての弓はすたれ,イギリスを中心にスポーツとして発達する。セント・アンドルーズ大学では銀の3本矢を巡って,1618-1751年にわたり争奪戦が展開され,1676年にはThe Royal Company of Archersと称する団体がエジンバラに誕生している。とくに1780年アーチェリー愛好団体Toxophilite Societyが創立されてから,上流,中流階級の間に広まり,イギリスのアーチェリーは目覚ましい発展を遂げた。アメリカでも,1879年に全米アーチェリー協会主催で初の選手権大会が開催されている。

 オリンピックでは1900年,04年,08年,20年の大会に採用され,その後長く競技種目から除かれていたが,72年のミュンヘン大会で復活した。国際アーチェリー連盟Fédération Internationale de Tir à l'Arc(略称FITA)は1931年に設立され,加盟国は114ヵ国(1997現在),本部はロンドンにある。

 日本に最初にアーチェリーを紹介したのは菅重義(1889-1977)で,約20年の滞米生活中アーチェリークラブに所属し,39年帰国して射法を《朝日新聞》紙上に紹介したのが嚆矢(こうし)とされる。彼は47年に日本洋弓会を結成,59年には日本アーチェリー協会となり,66年全日本アーチェリー連盟が発足した。日本でアーチェリーの指導に当たった人たちは,そのほとんどが日本弓道界のリーダーであった。この日本弓道の基礎があったために,日本のアーチェリーは短時日のうちに世界の五指に入るほどの成長を示し,道永宏選手がモントリオール・オリンピック(1976)で銀メダル,山本博選手がロサンゼルス・オリンピック(1984)で銅メダル,アテネ・オリンピック(2004)で銀メダルなどの成績をおさめるようになった。

用具は図のとおり。初期のころとは異なり,ミュンヘン・オリンピックを境にして弓は組立式となり,用具一式がケースに格納できるようになっている。弓は日本弓のように長弓ではなく,だいたい人間の身長と同じくらいの高さであるが,グリップが中央にあること,右利きの場合左側に矢をつがえることなども日本弓道との相違点である。

 射法は八つの基礎動作からなる。すなわち,(1)スタンス,(2)セット,(3)ノッキング,(4)セットアップ,(5)ドローイング,(6)フルドロー,(7)リリース,(8)フォロースルーであり,日本弓道の八節と酷似している。

おもな競技種目として,(1)アウトドア・ターゲットアーチェリーoutdoor target archery,(2)インドア・ターゲットアーチェリーindoor target archery,(3)フィールドアーチェリーfield archery,(4)クラウトアーチェリーclout archery,(5)フライトアーチェリーflight archery,(6)スキーアーチェリーski archery,アーカスロンarchathlonなどがある。

(1)アウトドア・ターゲットアーチェリー 標的競技。各国でもっとも盛んに行われている。正式競技の場合,男子は30m,50m,70m,90m,女子は30m,50m,60m,70mの距離から各36射ずつ,合計144射を1ラウンドとしている。標的は60m,70m,90mの場合直径122cm,30m,50mでは直径80cmのものを用いる。得点は中心から外側へ,10点から1点まで10区分の同心円となっており,得点ゾーンは5色に色分けされている。競射は1回に3本ずつ発射し,その制限時間は2分である。

(2)インドア・ターゲットアーチェリー 屋内で行う。18mの距離から30射,25mの距離から30射,合計60射の合計得点で競う。男子,女子とも共通ルールで,得点方法はターゲットアーチェリーに準ずるが,標的の直径は18mが40cm,25mが60cmである。

(3)フィールドアーチェリー ゴルフのように広い山野を4人1組でプレーする競技である。24または12~24の間の4で割り切れる任意の数の標的で競技が行われ,1標的に3射ずつ行射する。ベアボウ,オリンピック,コンパウンドの各部門があり,それぞれ別の競技として行われる。

 1967年ころからアメリカで流行し始めた新型の弓,コンパウンドボウは,最近愛好者が増加し,FITAにおいて正式種目として認められることとなった。これは,2種類の滑車,プーリーとカム,または両者の組合せによるシステムによって引分けが機械的に変換される種目で,ターゲットアーチェリー,フィールドアーチェリーともにコンパウンド部門があり,標的は,中心がインナー10(ターゲット),インナー5(フィールド)になっている。
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百科事典マイペディア 「アーチェリー」の意味・わかりやすい解説

アーチェリー

西洋で発達した弓術。洋弓とも。で矢を射て,標的への的中率で得点を争う競技。17世紀以降英国を中心に欧米で発達。ターゲットアーチェリー(標的競技)とフィールドアーチェリーがある。前者は90,70,50,30m(女子は70,60,50,30m)の距離から各36矢,計144矢(ラウンドという)を2回,4日間で行い合計得点を争う。照準器(サイト)の使用が許される。後者は変化のあるコースに配置された14個の標的をふつう各4矢ずつ射て(ユニットという),これを2回繰り返す。屋内で行われるインドアアーチェリーもある。日本には1939年に伝わり,1947年に日本洋弓会を結成,1959年に日本アーチェリー協会となり,さらに1966年に全日本アーチェリー連盟となった。日本のアーチェリーは,日本弓道の基礎があったためか,急速にレベルが向上した。夏季オリンピックでは1972年のミュンヘンオリンピックから正式種目として実施された。オリンピックの決勝は,1射につき30秒の持ち時間で各12射し合計点数で勝者を決めるオリンピックラウンドと呼ばれる対戦形式の試合で競われる。日本男子は山本博が1984年ロサンゼルスオリンピック男子個人銅メダル,2004年アテネオリンピックで同じく銀メダルを獲得。女子は2012年ロンドンオリンピックで団体銅メダルを獲得(蟹江美貴,川中香緒里,早川漣)。韓国が圧倒的な強豪国で,2014年3月現在では男子・女子とも個人・団体で世界ランキング1位を独占している。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーチェリー」の意味・わかりやすい解説

アーチェリー
archery

洋式の弓に矢をつがえて一定距離にある標的を射合い,正確さを競う競技。洋弓。弓矢は有史以前に発明され,世界のあらゆる民族によって狩猟や戦いの武器として独自に工夫,改良されてきた (→ ) 。現在に残る射法からメディタレニアン型射法モンゴリアン型射法ピンチ型射法に大別され,地中海で発祥したアーチェリーは 16世紀にイギリス王室の保護もありスポーツとして発展,普及した。 1931年国際アーチェリー連盟が発足。 1900年のパリ・オリンピック競技大会から正式競技となったが,1920年のアントウェルペン・オリンピック競技大会以降,正式競技からはずされていた。人気が高まったのは 1960年代以降で,1972年のミュンヘン・オリンピック競技大会から正式競技に復活した。日本には 1939年に持ち込まれ,1947年に日本洋弓会が設立された (1956年日本アーチェリー協会,1966年全日本アーチェリー連盟に改称) 。競技用の弓は,リムの先端がそり返った形で,サイト (照準器) やスタビライザー (安定器) などの補助器をつけるリカーブ,補助器を一切つけないベアボウ,リムの先端に滑車をつけることで,矢を放つときの引き重量を倍増させる働きがあるコンパウンドの3種類に分類される。競技種目にはターゲットアーチェリーフィールドアーチェリーインドアアーチェリークラウトアーチェリーフライトアーチェリーなどがある。オリンピック競技大会ではリカーブを用いたターゲットアーチェリー4種目のみが実施されており,弓の材質や大きさなどに制限はなく,矢も重さが 28gに制限されているだけとなっている。

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