イェーナの戦(読み)イェーナのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「イェーナの戦」の意味・わかりやすい解説

イェーナの戦 (イェーナのたたかい)

中部ドイツのイェーナにおいて,1806年10月14日に行われたプロイセン軍とフランス軍の決戦。この戦闘でホーエンローエFriedrich Ludwig Fürsten von Hohenlohe-Ingelfingen(1746-1818)率いるプロイセン軍が,ナポレオン指揮下のフランス軍により惨敗した。同日近郊のアウエルシュテットでもフランス軍はブラウンシュワイク公指揮のプロイセン軍を破り,ナポレオンは余勢をかって10月末ベルリンに入城した。イェーナの敗戦プロイセン王国瓦解と近代的改革契機となった。
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百科事典マイペディア 「イェーナの戦」の意味・わかりやすい解説

イェーナの戦【イェーナのたたかい】

ナポレオン戦争中の1806年,ライン同盟成立後のナポレオンの政策脅威を覚えたプロイセンは,英・露の援助下にフランスに宣戦したが,10月14日中部ドイツのイェーナJenaで完敗。これがシュタイン=ハルデンベルクの改革の契機となる。
→関連項目イェーナティルジット条約

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世界大百科事典(旧版)内のイェーナの戦の言及

【徴兵制】より

…近代軍隊の端緒であるフランス革命時の国民軍は,絶対君主を打倒した国民主権の観念と革命防衛の愛国的ナショナリズムが結合することにより生まれたものであった。ナポレオン率いるフランス国民軍のプロイセン傭兵軍に対する勝利(1806年のイェーナの戦)は,徴兵制が世界に広がるきっかけとなった。イギリス,アメリカなどでは伝統的に志願兵制がとられてきたのであるが,フランス革命後に近代国民国家形成に入るドイツ,イタリア,日本などは,こぞって徴兵制を採用した。…

※「イェーナの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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