イエズス会の創立者。洗礼名はイニゴ,スペイン北部バスクのギプスコアにあるロヨラ城に生まれ,宮廷教育(1506-17)を受けた後,ナバラのスペイン副王の軍人(1518-21)となった。対仏戦争に従軍,1521年5月20日パンプローナの戦で両足に砲弾を受け重傷を負った。ロヨラ城の病床にあってこれまで〈世俗の虚栄に溺れていた〉彼はヤコブス・デ・ウォラギネの《黄金伝説》とルドルフ・フォン・ザクセンの《キリストの生涯》に感動し,回心の光を見た。彼は死の危機をさまよったが,21年秋回復,翌年3月モンセラートのベネディクト修道院を訪れて罪の告白をし,その近くのマンレサで黙想と苦行の生活(1522-23)を送った。これは彼の著作《霊操(心霊修行)》(1548)の基本となった。エルサレム巡礼(1523-24)後,バルセロナでラテン語(1524-26),アルカラとサラマンカで高等教育(1526-27),パリで哲学と神学(1528-35)を学び,36年ベネチアで神学を修了して翌年6月24日司祭に叙階された。このころ彼はその名イニゴにかえてアンティオキアのイグナティオスの名を使うことにした。37年末からローマに定住し,《会掟草案》を書き,40年9月教皇パウルス3世によってイエズス会創立が認可されるや,41年4月8日総長に選ばれ,没する時までその職に献身した。ローマ学院の創立(1551)でも知られる。彼の中心思想は〈キリストへの従い〉と〈教会奉仕〉の霊性にある。
→イエズス会
執筆者:鈴木 宣明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…これらは厳格な会則をもつ修道会ではなく,社会的活動をめざす共同体である。 反宗教改革のにない手となったイエズス会は,イグナティウス・デ・ロヨラが起こしたもので(1540認可),これは〈戦闘部隊〉という意味でカンパニアと称された。1558年の会憲によれば,総会長の上に教皇が絶対の首長となり,会士はその命令に絶対に服従しなければならない。…
…しかもそれが受苦と悲哀の度合を深めるときは,しばしば失明の誘因となった。イエズス会の創立者であるイグナティウス・デ・ロヨラは,その《心霊日記》のなかで,祈りと観想のなかで流した涙について克明に記述し,ときに過度の流涙によって失明するのではないかとのおそれを告白している。また中国の浄土教の大成者である善導は,《往生礼讃偈》のなかで3種の懺悔を挙げ,流血・流涙による懺悔の重要性について論じているが,この考えは日本の親鸞の《教行信証》にも受けつがれた。…
…こうして,従来は超自然的な霊感のうちにのみ求められていた力が,人間の意志に与えられることになる。イエズス会の開祖イグナティウス・デ・ロヨラは,〈私はいつでも,自分の欲するときに神を見いだすことができる〉とも,また,身体が〈進み,歩き,走る〉ことで訓練されるように,意志も訓練によって〈神意を見いだしうる〉ようになる,と述べている。そしてこのような自由意志の肯定と重視は,イエズス会を欲望の解放の時代にふさわしい活動的な集団たらしめた。…
※「イグナティウスデロヨラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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