イブンファドラーン(英語表記)Ibn Faḍlān

改訂新版 世界大百科事典 「イブンファドラーン」の意味・わかりやすい解説

イブン・ファドラーン
Ibn Faḍlān

アッバース朝カリフ,ムクタディルの派遣した使節団の一員。生没年不詳。921年6月バグダードを出発ホラーサーン,ホラズム地方を経由して,約1年後にボルガ河畔のブルガール族の王居に到着した。彼による《旅行報告書Risāla》は,抄本としていくつかのイスラム地理書にみえており,10世紀の北方情勢,とくに西進を続けるトルコ系諸部族,ブルガール族,スカンディナ・ルス族に関する生活状況,風俗貿易などを伝える確かな記録である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のイブンファドラーンの言及

【舟葬】より

…ノルウェーのオスロにあるバイキング船博物館にあるオーセベル船は女王アーサを葬ったものとされ,その優美な船と豊かで芸術的な多くの副葬品で名高い。10世紀にボルガ河畔でスウェーデンのバイキングの首長の舟葬を目撃したアラブのイブン・ファドラーンの目撃談《旅行報告書》,《ベーオウルフ》〈エッダ〉などの記述やゴトランドやデンマークのリンドホルムの舟形石墓などを総合すると,舟葬は身分の高い王侯や首長の葬制であるだけでなく,死者が船に乗ってあの世へおもむくという古来の観念が生かされているように思われる。【谷口 幸男】。…

【旅行記】より

…彼の興味の中心は聖地とメッカ巡礼であり,この部分だけで全体の3分の1以上を占めている。 このほかにアッバース朝カリフが921年にボルガ地方へ派遣した使節団の一人イブン・ファドラーンの《旅行報告書》,サーマーン朝スルタンの中国使節(942ごろ)アブー・ドラフAbū Dulaf(生没年不詳)の《中国インド紀行》,グラナダ生れの旅行家アブー・ハーミドAbū Ḥāmid(1080‐1169)の諸旅行記,同じくスペイン生れのイブン・サイードIbn Sa‘īd(1213‐86)の諸旅行記,バグダード生れのアブド・アルラテーフAbd al‐Laṭīf(1162‐1231)の知性あふれる《エジプト紀行》,マムルーク朝下《アミール・ヤシュ・ベクのアナトリア・トルコ紀行》,同じくマムルーク朝下のスルタン,カーイト・バイ(在位1468‐96)の《ヒジャーズ紀行》などが代表的なものである。このほかアラビア語以外にもバルフ生れのペルシア人ナーシル・ホスロー(1003‐61)の《サファル・ナーマ》(ペルシア語),オスマン帝国の軍人旅行家エウリヤ・チェレビー(1611‐84)の旅行記(トルコ語)などがあり,他のジャンルに比べると少ないとはいえイスラム世界の旅行記文学は中世だけでも20以上を数える。…

※「イブンファドラーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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