イワン3世(大帝)(読み)イワンさんせい[たいてい](英語表記)Ivan III Vasil'evich, Velikii

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イワン3世(大帝)」の意味・わかりやすい解説

イワン3世(大帝)
イワンさんせい[たいてい]
Ivan III Vasil'evich, Velikii

[生]1440.1.22. モスクワ
[没]1505.10.27. モスクワ
ロシアのモスクワ大公 (在位 1462~1505) 。治世中領土の統一と拡大に努め,ヤロスラフ (1463) ,ロストフ (74) ,トベーリ (85) の諸公国を征服,1472年ノブゴロド共和国をも合せて統一の基礎を固め,キプチャク・ハン国への貢納廃棄,カザン・ハン国への勢力伸張により,東北ロシアをタタールの支配から解放した。またリトアニア (リトワ) 大公国と戦って (87~94,1500~03) ,オカ川上流地方,セーベル地方などの西南ロシアを回復し,強力な中央集権国家を打建てた。君主権の確立とともにモスクワ大公国の国際的地位が上昇し,ベネチア,ローマ教皇庁,神聖ローマ帝国,オスマン・トルコなど有力諸国と外交関係を結び,「ツァーリ」および「全ロシアの君主 (ゴスダリ) 」と称した。ビザンチン帝国滅亡後,最後の皇帝の姪ゾエ・パレオロゴス (ロシア名ソフィヤ・パレオローグ) と結婚し (1472) ,威信を大いに高めた。ビザンチンの紋章「双頭のわし」を自国の紋章にしたのもこの頃のことである。またモスクワの強大化とともに,モスクワ国家と大公権とを賛美する文学活動もこの頃から盛んになった。国内政治では,大公権伸長を支持した地主士族 (ドボリャニン ) の特権を保護し,彼らの勢力を基盤として諸公,大貴族の勢力を押えることに努力した。士族保護政策の一環として,士族封地での労働力確保のために,農民の自由移動を「聖ユーリの日 (ロシア暦 11月 26日) 」の前後2週間に限定し (97) ,農奴化の端緒を開いた。官僚機構の整備もこの時期に進められ,中央に財政軍事の最高官庁「プリカーズ」を設け,専門書記官「ディヤク」を配置し,地方には,扶持制度「コルムレーニエ」に基づく代官の扶持量に一定基準を課して中央政府の統制を強化した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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