世界大百科事典(旧版)内のウィレム[2世](オランダ国王)の言及
【トルベッケ】より
…ベルギーのヘント大学で政治,外交史などを講じたが,30年ベルギー独立により同大学を退き,翌年ライデン大学法学部教授となる。30年代末に保守主義者からしだいに急進的自由主義者へと変貌し,39年《憲法論》を発表してオランダ国王ウィレム1世の専制的統治を批判し,憲法改正を訴えた。44年下院議員となり,同志とともに憲法改正案を議会に提出したが否決される。…
※「ウィレム[2世](オランダ国王)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」