ウェストミンスター寺院(読み)ウェストミンスターじいん(英語表記)Westminster Abbey

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェストミンスター寺院」の意味・わかりやすい解説

ウェストミンスター寺院
ウェストミンスターじいん
Westminster Abbey

イギリス,ロンドンウェストミンスターにある大聖堂。11世紀以来イギリス国王戴冠式および埋葬式が行なわれ,国王をはじめ王族,イギリスの誇る芸術家,政治家,科学者らの墓碑がある。のちのウェストミンスターとなるソーニー島には 785年頃すでに修道院が存在していたが,960年頃に修道士ダンスタンが移住し,拡張・改築された。今日の聖堂はエドワード王が創建し 1065年に聖別,その後 1245年から 1269年にかけてヘンリー3世により再建された。聖堂(現在はクリプト)および最も美しい 13世紀建築の一つである参事会室は 1245年から 1250年に造営,1352~66年に改修された。当初の建築はおそらくフランスのランスの工匠による設計で,フランス・ゴシック様式(→ゴシック建築)の平面様式をもち,その後は初期イギリス様式を展開。1503~19年頃にヘンリー7世が造営した聖母礼拝堂にはイギリス特有のパーペンディキュラー様式がみられる。1734~45年ニコラス・ホークスムアおよびジョン・ジェームズにより建造された西塔はゴシック・リバイバル好例である。1987年イギリス国会議事堂セント・マーガレット聖堂とともに世界遺産文化遺産登録

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウェストミンスター寺院」の意味・わかりやすい解説

ウェストミンスター寺院
うぇすとみんすたーじいん
Westminster Abbey

ロンドンにあるイギリスの戴冠(たいかん)式聖堂。正式名称はCollegiate Church of St. Peter in Westminsterである。創建は7世紀にさかのぼるが、11世紀になってエドワード懺悔(ざんげ)王によって一度再建され、現在の建物はヘンリー3世の発案により、ヘンリー・オブ・レーンズの設計をもとにして1245年に起工、69年に完成、献堂されたもの。しかしその後も増築が繰り返され、西側正面はヘンリー・イエベルの設計により14、15世紀に建立され、ついで1503~12年には後陣にヘンリー7世礼拝堂が増築、最終的に鐘塔が完成したのは1734年のことである。1987年にウェストミンスター宮殿、聖マーガレット教会とともに世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

 寺院内部は壁面も床も歴史上の人物の墓碑、記念碑で埋まっている。正面入口を入って最初にあるのがチャーチル記念碑、その左手に労働党指導者アトリー、マクドナルド、ベバンらの記念碑、そのすぐ奥にアフリカ探検家として業績のあったリビングストンの墓がある。中央オルガンの左手は科学者ニュートンの墓碑。翼廊左手にはウィリアム・ピット、グラッドストーンなど往時宰相が祀(まつ)られ、反対側の一部は通称詩人コーナー」とよばれ、チョーサー、ブレイク、ロングフェロー、ブラウニング、バイロンなど、続いてスコット、ヘンデル、キーツ、シェリーといった著名な作家、詩人、音楽家の墓碑群が並んでいる。

[濱谷勝也]


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旺文社世界史事典 三訂版 「ウェストミンスター寺院」の解説

ウェストミンスター寺院
ウェストミンスターじいん
Westminster Abbey

ロンドンのテムズ川河畔にあるゴシック様式の寺院
11世紀にベネディクト派寺院として建立され,1256年以来16世紀までここで議会が開かれた。王室との関係が密で,歴代国王の戴冠式場,裁判法廷,王室の埋葬地でもあった。

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