ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウォトリング街道」の意味・わかりやすい解説
ウォトリング街道
ウォトリングかいどう
Watling Street
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1884年に経度の基準点に採用された。ローマ時代にはドーバーからロンドンへ通じるウォトリング街道の要地であり,また中世にはデーン人の艦隊集結地ともなった。1423年にグロスター公ハンフリーがこの地の荘園を購入し,のちグリニジ公園として整備された。…
…現在もカレー,ダンケルク,ブーローニュ・シュル・メールおよびオーステンデとの間にフェリーやホバークラフトが就航し,また海岸保養地としても知られる。紀元前55年にカエサルの上陸地点となって注目され,ローマ時代にはウォトリング街道の起点ともなった。サクソン時代に要塞化され,11世紀にはイギリス南部海岸の特権港湾,〈五港市〉の中心に成長した。…
※「ウォトリング街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新