エグリントン(伯家)(読み)エグリントン[はくけ](英語表記)Eglinton, Earls of

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エグリントン(伯家)」の意味・わかりやすい解説

エグリントン(伯家)
エグリントン[はくけ]
Eglinton, Earls of

モントゴメリー家が保持してきたスコットランド貴族家柄枢密顧問官ジェームズ5世幼少時の後見人,摂政会議員,司法総監などをつとめたヒュー・モントゴメリー (1460?~1545) が,1506年伯爵に叙せられたのに始る。その曾孫の3代伯ヒュー (31?~85) も 78年枢密顧問官になった。6代伯アレクサンダー (88~1661) もチャールズ1世の枢密顧問官になったが,清教徒革命が勃発すると騎兵指揮官として議会軍援助におもむき,マーストンムーアの戦いで活躍した。しかしチャールズ1世処刑後は O.クロムウェルに反抗して一時拘禁された。その子の7代伯ヒュー (13~69) もチャールズ1世の宗教政策に反対し,主教戦争ではレーブン (伯)部下として従軍し,清教徒革命にも初め議会派援軍として戦い,のちチャールズ (2世) 支持派として共和国軍と戦い,1651年捕虜になった。その孫の9代伯アレクサンダー (60?~1729) はウィリアム3世時代に枢密顧問官,大蔵総裁などをつとめ,その子の 10代伯アレクサンダー (23~69) は,ジョージ3世治世当初の宮内長官であるとともに,『公債起源と影響』 Inquiry into the Origin and Consequences of the Public Debt (54) を著わした財政家でもあったが,あやまって射殺された。弟のアーチボルド (26~96) が 11代伯を継承。 12代伯ヒュー (39~1819) はアメリカ独立戦争で鎮圧軍として戦った軍人で,襲爵前は下院議員にも選ばれた。その孫の 13代伯アーチボルド (12~61) は,1852年アイルランド総督,枢密顧問官に任じられた重臣であるとともに文化振興に力を注ぎ,52年アバディーン,グラスゴー両大学の学長もつとめた。

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