エジプト(地域)(読み)エジプト

百科事典マイペディア 「エジプト(地域)」の意味・わかりやすい解説

エジプト(地域)【エジプト】

ナイル川下流域にある人類最古の文明発生地の一つ。ナイル川の定期的洪水による自然灌漑(かんがい)で豊かな農耕文化が栄えた。古代エジプト文明では,前3000年ごろのメネスによる国家統一と第1王朝創建以後,30の王朝が興亡した。第3〜6王朝を古王国(前2780年―前2250年),第11〜12王朝を中王国(前2052年―前1778年),第18〜20王朝を新王国(帝国時代,前1567年―前1085年),それ以後を後帝国時代と呼び,その間に二つの中間期がある。古王国時代はピラミッド時代とも呼ばれ,首都メンフィスなどが栄え,太陽神ラー信仰や王(ファラオ)の地位が確立した。古王国末期以来の混乱から回復した中王国時代には首都テーベアメンを最高神とし,ファラオは〈正義の牧者〉として平和的・福祉的事業に専心し,勢力範囲はヌビア,シリアに及んだ。前1700年ごろから約200年にわたりヒクソス侵略支配を受けた。新王国時代第18王朝のトトメス3世はヌビア,リビア,シリア,パレスティナなどを合わせ,エジプト王国最大の版図を支配する世界帝国を建設して当時の文明世界に君臨したが,王朝末期アメンヘテプ4世(イクナートン)の宗教改革が失敗し小アジア領を失った(アマルナ時代)。第19王朝のラメセス2世は帝国を再建し,テーベに大神殿などを建築した。その後国勢は衰え,前7世紀アッシリアに征服された。以後ペルシアの支配を受け,前332年アレクサンドロス大王に征服された。彼の死後武将のプトレマイオス1世がプトレマイオス王国を創建,ヘレニズム世界最強の国となり,首都アレクサンドリアは国際都市として栄えた。しかしクレオパトラのときアクティウムの海戦オクタウィアヌスアウグストゥス)に敗れ,前30年ローマの属州となった。1―4世紀にはキリスト教が普及し,コプト教会に受け継がれた。7世紀以降アラブ軍の侵入でアラブ化・イスラム化が進み,エジプトはアラビア語で軍営都市を意味するミスルと呼ばれるようになった。カイロはファーティマ朝アイユーブ朝マムルーク朝の都となり,エジプトはイスラム世界の中心となった。16世紀初めオスマン帝国領となったが,19世紀初めその支配下ムハンマド・アリーもと事実上独立した。その間1798年ナポレオンのエジプト遠征に始まるヨーロッパ勢力の侵入が続き,1869年に開通したスエズ運河は英仏共同管理下に入り,19世紀末に英国がエジプト全土を占領下においた。1922年英国は民族運動に押され,エジプト王国として名目的独立を与えたが,1952年エジプト革命により英国の支配は終わった。
→関連項目アフリカシアルクピートリー

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