エドワード7世(読み)エドワードななせい(英語表記)Edward VII

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エドワード7世」の意味・わかりやすい解説

エドワード7世
エドワードななせい
Edward VII

[生]1841.11.9. ロンドン
[没]1910.5.6. ロンドン
イギリス王 (在位 1901~10) 。ビクトリア女王の長男。 1863年デンマーク王女アレクサンドラと結婚。ビクトリア女王が夫君アルバートの死 (1861) 後,公式の行事や社交界から身をひいたため,皇太子夫妻がその任を引受けたが,実権は女王が長く保持した。 60歳で即位ハノーバー朝家名サックス=コーバーグ=ゴーサ家と改称した。しばしばヨーロッパ諸国を訪問して国際協調に努め,英仏協商 (1904) ,英露協商 (07) による三国協商成立にも貢献した。 1909年にはベルリンにドイツ皇帝ウィルヘルム2世を訪れ,イギリス,ドイツ間の緊張緩和に努めた。フランスの保養地ビアリッツから帰国してまもなく気管支炎のため死去

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改訂新版 世界大百科事典 「エドワード7世」の意味・わかりやすい解説

エドワード[7世]
Edward Ⅶ
生没年:1841-1910

イギリスの国王。在位1901-10年。ビクトリア女王の長男。皇太子時代,世界各国を訪問し,庶民的な性格により国民の人気を博した。イギリス外交の転換期に60歳で即位し,立憲君主制度を守りながらも,英仏・英露協商の成立に貢献し,イギリスの国際的地位の強化に努めた。上院改革をめぐる内政危機のさなか,新貴族創設の大権行使という難問をかかえたまま急逝した。
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20世紀西洋人名事典 「エドワード7世」の解説

エドワード7世
Edward Ⅶ


1841 - 1910
英国国籍。
元・英国国王。
オックスフォード大学,ケンブリッジ大学に学ぶ。
サックス・コーバーグ・ゴータ朝の国王でビクトリア女王の長男である。1901年母女王の死により59歳で即位する。外交問題に関心が深くヨーロッパ各地を歴訪し、「ヨーロッパの伯父上」とよばれ、又英仏、英露協商の成立に尽力し、英国の国際的地位の向上に努める。アレクサンドラ王妃との間に3男3女がおり、次男ジョージ5世が王位を継承する。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「エドワード7世」の解説

エドワード7世(エドワードななせい)
Edward Ⅶ

1841~1910(在位1901~10)

ハノーヴァー朝に続くサックス・コバーグ・ゴータ家の最初のイギリス王。ヴィクトリア女王の長子。第一次世界大戦直前の内外多難な時期に君臨し,外交面でドイツ包囲策の形成を助けた。

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367日誕生日大事典 「エドワード7世」の解説

エドワード7世

生年月日:1841年11月9日
イギリス国王(在位1901〜10)
1910年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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