エネスコ

デジタル大辞泉 「エネスコ」の意味・読み・例文・類語

エネスコ(Georges Enesco)

[1881~1955]ルーマニアバイオリン奏者・作曲家。民族色の濃い作品を残し、20世紀ルーマニア音楽の指導的役割を果たした。バッハ演奏でも有名。作「ルーマニア狂詩曲」など。エネスク

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百科事典マイペディア 「エネスコ」の意味・わかりやすい解説

エネスコ

ルーマニアのバイオリン奏者,作曲家,指揮者。エネスクともいう。20世紀前半を代表する名バイオリン奏者の一人。13歳でウィーン音楽院を卒業後,パリを中心にソロや室内楽で活動。国際的な名声を得た。作曲家としては初期の管弦楽曲《ルーマニア狂詩曲第1番》(1901年)が広く知られるが,後期の作品がことに重要。ルーマニアの民俗音楽エッセンスを精妙に盛り込んだ《バイオリン・ソナタ第3番》(1926年)や《管弦楽組曲第3番》(1937年),20世紀オペラの代表作の一つ《エディプス王》(1921年−1931年,パリ初演1936年。原作ソフォクレスの《オイディプス王》)などがある。M.ラベルの《バイオリン・ソナタ》(1923年−1927年)など初演作品も多い。名教師としても知られ,弟子にメニューインなど。→イザイエリパッティ
→関連項目イェペスナットハスキル

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エネスコ」の意味・わかりやすい解説

エネスコ
えねすこ
George Enescu (Georges Enesco)
(1881―1955)

ルーマニアの作曲家、バイオリン奏者。ウィーン音楽院に学び、17歳でバイオリニストとしてデビュー。さらにパリ音楽院でバイオリンの腕を磨く一方マスネフォーレのもとで作曲を学ぶ。その後独奏者、指揮者として活躍しながら、パリのエコール・ノルマルの教授として、グリュミオー、メニューインなどを育てた。また母国の音楽振興にも努め、20世紀ルーマニア音楽の指導的存在となった。作品には、オペラ『エディプ』(1936)、管弦楽曲『ルーマニア詩曲』(1897)、二つの『ルーマニア狂詩曲』(1901、02)などがある。

[寺田由美子]

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改訂新版 世界大百科事典 「エネスコ」の意味・わかりやすい解説

エネスコ
Georges Enesco
生没年:1881-1955

ルーマニアの世界的バイオリン奏者,作曲家。ウィーンの楽友協会音楽院で学んだ後,バイオリン奏者としてデビューするが,すぐにパリ音楽院に入り,フォーレ,マスネーに作曲を学ぶ。パリを中心とした演奏活動のかたわらグリュミオー,メニューインらを教え,同時に祖国ルーマニアでも指揮を含めた演奏活動を行った。この間の作品には,民族的色彩の濃い2曲の《ルーマニア狂詩曲》(1901-02)がよく知られているが,西ヨーロッパの伝統との総合により1920年代の様式に至り,《バイオリンソナタ第3番》(1926),歌劇《エディプス王》(1931)などの佳作を生み出した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エネスコ」の意味・わかりやすい解説

エネスコ
Enesco, Georges

[生]1881.8.19. ドロホイ近郊リベニ
[没]1955.5.4. パリ
ルーマニアのバイオリニスト,作曲家。7歳でウィーン音楽院に入学,ヘルメスベルガーにバイオリンを,フックスに理論を学ぶ。 1894年パリ音楽院で,バイオリンはマルシックに,作曲はフォーレマスネに師事。演奏家として活躍するかたわら,98年『ルーマニア詩曲』で作曲家として認められる。フランスの近代的な手法のうえに,故国ルーマニアの民族音楽の要素を取入れた『ルーマニア・ラプソディー』やオペラ『オイディプス王』そのほか多数の管弦楽と室内楽を作曲し,現代ルーマニアの代表的作曲家とされる。 Y.メニューインの師としても有名。

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