オペラ・ブッファ
おぺらぶっふぁ
opera buffa イタリア語
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世界大百科事典(旧版)内のオペラ・ブッファの言及
【イタリア音楽】より
…その後オペラは,マントバの宮廷に引き継がれ(モンテベルディ作曲《オルフェオ》など),1637年にベネチアに公開劇場が作られてからは,同市やローマ,次いでナポリなどで,市民の芸術として隆盛をきわめた。18世紀前半のナポリでは,従来のような神話劇,歴史劇としてのオペラのかたわらに,現代喜劇としてのオペラが成立して発展し,前者はオペラ・セーリア(重厚なオペラの意),後者はオペラ・ブッファ(ふざけたオペラの意)と呼ばれるようになった。 またこの時代には,オペラの独唱場面に近いような構成のカンタータや,1場景だけのオペラともいえるセレナータなども多く作られた。…
【オペラ】より
…その流れを汲むイタリアのオペラ・セーリアopera seria(正歌劇)やフランスのトラジェディ・リリックtragédie lyrique(抒情悲劇)は,古典的な格調の高さにおいて高度の様式美を維持しながら,社会の上層部,支配階級と結びついて発展した。18世紀以降は,これに対して,イタリアではオペラ・ブッファopera buffa(道化オペラの意),フランスではオペラ・コミックopéra comique(喜歌劇,のちにはせりふを含むオペラを意味する),イギリスではバラッド・オペラballad opera(俗謡オペラ),ドイツでは[ジングシュピール]Singspiel(歌芝居)など,より庶民的な性格の強いオペラのタイプが興ったが,それらに共通するのは,正歌劇や抒情悲劇の貴族性と形式ばった様式に対する反動とパロディの精神であった。つづく19世紀には,作品の規模,壮大な舞台効果,シリアスな情緒において,かつてない高みに登ろうとした〈グランド・オペラgrand opéra〉に対して,再び庶民的な気軽さと息抜きを求める[オペレッタ]が興った。…
【ペルゴレーシ】より
…代表作にはインテルメッツォ《奥様になった女中La serva padrona》(1733)と宗教歌曲《スタバト・マーテル》(1736)がある。オペラ・セリア《尊大な囚人》のこっけいな幕間狂言として作曲された《奥様になった女中》は,大好評を博したために独立した作品として上演されるようになり,オペラ・ブッファの初期の例となった。また1752年のパリ公演後,この作品を支持する派と反対派が王妃派と国王派に分かれて,〈ブフォン論争〉として知られるイタリア・オペラかフランス・オペラかの論争を54年まで繰り広げた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」