オルレアン王朝派(読み)オルレアンおうちょうは(英語表記)Orléanistes

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オルレアン王朝派」の意味・わかりやすい解説

オルレアン王朝派
オルレアンおうちょうは
Orléanistes

1830年1月オルレアン公ルイ・フィリップ・ジョゼフの子ルイ・フィリップをフランス王に推戴するために L.ティエール,L.モレ,J.タレーラン扇動で結成された党派七月王政を通じて2派に分裂。 48年の二月革命後,200人の党員が温和な政党に合流し,第二帝政を支持。 70年以後にティエールを中心とした左派が形成された。議会政治に緊縛されたオルレアン王朝派は王政復古に失敗 (1873) ,77年5月の危機後は代議士数 11人まで衰退し,92年2月の教皇回勅によって大多数が共和政に加担するにいたった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android