カザルス

デジタル大辞泉 「カザルス」の意味・読み・例文・類語

カザルス(Pablo Casals)

[1876~1973]スペイン出身のチェロ奏者・作曲家・指揮者。チェロ奏法の改革と発展に努め、バッハの無伴奏チェロ組曲を復活させた。フランコ政権成立後、亡命プエルトリコ死去

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「カザルス」の意味・読み・例文・類語

カザルス

(Pablo Casals パブロ━) スペインのチェリスト。近代チェロ奏法の確立者。コルトーチボーとともに三重奏団を結成。バッハ研究者としても著名。(一八七六‐一九七三

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

百科事典マイペディア 「カザルス」の意味・わかりやすい解説

カザルス

チェロの現代奏法を確立したスペインのチェロ奏者,指揮者,作曲家。カサルスともいう。バルセロナ西南の小村に生まれ,ピアノを習ったのち11歳からチェロを学ぶ。バルセロナ音楽学校とマドリード音楽院に在学中からチェロ奏法の改良にとりくみ,肘(ひじ)を柔軟に用いる右手のボーイング(運弓法)と親指を駆使した左手の運指法を開拓。チェロの表現力に画期的な変革をもたらした。1899年パリを拠点に本格的な演奏活動を開始し,1905年ティボーコルトーと〈カザルス・トリオ〉を結成。また13歳の折その楽譜を発見したJ.S.バッハの《無伴奏チェロ組曲》全6曲を10余年の研究を経て世に問い,久しく埋もれていたこの名曲の真価を世に知らしめた。スペイン内乱フランコの勝利に終わったのちはフランスの寒村プラドに移り,1950年から音楽祭を主催。1956年プエルト・リコに移住。反独裁政権の節を曲げず,二度とスペインへは帰らなかった。作品ではチェロのための小品《鳥の歌》が広く知られる。1961年に来日。→カサドセゴビアフォイアマン
→関連項目サン・フアンデュ・プレハスキルロストロポービチ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カザルス」の意味・わかりやすい解説

カザルス
かざるす
Pablo Casals
(1876―1973)

スペインのチェロ奏者、指揮者。チェロの演奏法の発展向上に決定的な役割を演じ、20世紀のチェロ界の隆盛をもたらす一方、長い間忘れられていたJ・S・バッハの『無伴奏チェロ組曲』を掘り起こして、この楽器のもっとも重要な作品として定着させ、こうした活動を通じて、チェロがバイオリンに匹敵する弦楽器であることを明らかにした現代チェロ界最大の巨匠である。

 1876年12月29日、スペインのカタルーニャ地方の町ベンドレルに生まれる。バルセロナとマドリードの両音楽院で学ぶ。オーケストラの首席奏者を経て、98年からチェロ独奏者として国際的な活動を開始。1905年にピアノのコルトー、バイオリンのチボーと結成したカザルス三重奏団(カザルス・トリオ)は、33年まで公演を続け、20世紀最高のピアノ三重奏団との評価を得た。10年代に世界第一級のチェロ奏者との名声を確立すると、19年バルセロナにカザルス管弦楽団を創立、指揮にも手を染め、以後、指揮者としても国際的な活動を始める。36年のスペイン内戦ではファシズムに反対して祖国を去り、フランスの寒村プラド、ついでプエルト・リコに移り、二度と祖国の土を踏むことなく、73年10月22日、プエルト・リコのサン・フアンで96歳で永眠。プラドとプエルト・リコでは音楽祭やコンクールを主宰、人々に音楽する喜びを教え、また多くの音楽家を世に送り出すのに力を貸した。61年(昭和36)来日したが、チェロは演奏せず、指揮と公開レッスンだけを行った。音楽家としても人間としても信念を貫き通した高潔さが光輝を放っている。

[岩井宏之]

『J・M・コレドール編、佐藤良雄訳『カザルスとの対話』(1967・白水社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カザルス」の意味・わかりやすい解説

カザルス
Casals, Pablo

[生]1876.12.29. スペイン,ベンドレル
[没]1973.10.22. プエルトリコ,サンフアン
スペインのチェリスト。バルセロナ音楽院でホセ・ガルシアにチェロを学ぶかたわら,室内楽対位法を学び,1898年フランスのパリでデビュー。数々の名演奏を行ない,20世紀初頭には第一級のチェリストとして世界的名声を得た。1905年バイオリンのジャック・ティボー,ピアノのアルフレッド=ドニ・コルトーとともにカザルス・トリオを組織し室内楽にも活躍。1919年バルセロナにカザルス管弦楽団を創設,指揮者としても活躍した。スペイン内乱後,フランスを経て中央アメリカのプエルトリコに移住し,カザルス音楽祭,カザルス・チェロ・コンクールを主催,後進の育成に力を注いだ。またヨハン・ゼバスチアン・バッハの『無伴奏チェロ組曲』を復活させるなどの業績がある。1961年訪日。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「カザルス」の意味・わかりやすい解説

カザルス
Pablo Casals
生没年:1876-1973

スペインのチェロ奏者。指揮者としても活躍した。マドリード音楽院を卒業,1895年パリでデビューして演奏活動に入る。1905年ピアノのコルトー,バイオリンのティボーと結成したカザルス・トリオは,20世紀最高のピアノ三重奏団と評価された。19年バルセロナにカザルス管弦楽団を創立,指揮活動に進出。36年スペイン内乱が始まるとフランコ将軍に反対,フランスのプラド,次いでプエルト・リコに移住した。61年来日。ただしチェロは演奏せず,指揮と公開レッスンだけを行った。忘れられていたバッハの《無伴奏チェロ組曲》を復活させ,チェロ奏法を改革して20世紀のチェロ奏者たちの道を開くなど,その功績はきわめて大きい。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android