日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
カニンガム(Imogen Cunningham)
かにんがむ
Imogen Cunningham
(1883―1976)
アメリカの写真家。オレゴン州ポートランド生まれ。20世紀アメリカを代表する女性写真家の一人。アメリカ西海岸地方を中心に活動、1920~1930年代に確立されたストレート・フォトグラフィ(撮影や現像、焼付けなどの各プロセスで特殊な処理やトリミングを行わず、対象を客観的かつ緻密に描写する作風)の方法意識にもとづき、人物や植物をはじめ幅広い主題を手がけた。
1903年シアトルのワシントン州立大学に入学して化学を専攻。在学中に4×5インチ判の大型カメラを入手し、大学キャンパス内でセルフ・ヌードを撮ることから写真制作を始めた。大学卒業後の1907年から2年間にわたり写真家エドワード・カーティスEdward Curtis(1868―1954)の肖像スタジオで働き、ネガ修整やプラチナ印画法(プラチナの感光性を利用した印画法。長期保存に優れる)を学ぶ。奨学金を得て1909年にドレスデン工科大学へ留学、写真化学を研究し、翌年シアトルに戻って肖像スタジオを開業した。
1915年、版画家ロイ・パートリッジRoi Partridge(1888―1982)と結婚。1917年にサンフランシスコへ転居。この当時までのカニンガムの作品は、象徴主義芸術や神智学の影響を濃厚にうかがわせる自然風景のシチュエーションの中での男性や女性、子供らのヌードなど、ソフト・フォーカスによる絵画主義のスタイルをとるものが多かった。だが、オークランドへ移り住み、写真家エドワード・ウェストンと交流を始めた1920年以降、シャープで精密な描写による植物のクローズ・アップ撮影に着手し、ストレート・フォトグラフィの方向へと表現を大きく変化させていった。1929年にはドイツのシュトゥットガルトで開催された「映画と写真」展に出品、国際的な評価を受ける。また、1932年にウェストン、アンセル・アダムズ、ウィラード・バン・ダイクWillard van Dyke(1906―1986)ら、サンフランシスコ湾周辺地域で活動する写真家によるグループ「f64」(大型カメラ用レンズの最小絞り値にちなんで命名)の結成に参加した。
1934年の離婚以降、『バニティ・フェア』Vanity Fair誌などの雑誌からの依頼仕事にも取り組むようになり、著名人の肖像、近代工業、都市生活のシーンなどさまざまな主題を、それまで得意としていた大型カメラに代えて、6×6センチメートルのフィルムサイズの中判フォーマットのカメラも駆使し、数多く撮影している。1947年に再びサンフランシスコへ移転、その年から数年間にわたって写真家マイナー・ホワイトがディレクターを務めるカリフォルニア・スクール・オブ・ファイン・アーツで写真を教えた。
ストレート・フォトグラフィの写真美学を確立したと評価されているグループ「f64」の写真家たちの中でも、カニンガムは他のメンバーがほとんど試みようとしなかった多重露光などの実験的手法をしばしば自作に導入しており、アイデアの豊かさや自由さにおいて特筆するべきものがあった。1920年代に始まる植物のクローズ・アップ撮影には、最晩年までながく情熱をかたむけた。1973年より「After Ninety」と題する、同世代の高齢者たちの肖像撮影プロジェクトにとりかかったが、その途上にあった1976年、93歳で没した。
[大日方欣一]
『Imogen!; Imogen Cunningham, Photogaphs1910-1973 (1974, Henry Art Gallery and University of Washington Press, Washington)』▽『Imogen Cunningham, Richard LorentzFlora (1996, Bulfinch Press Book, Boston)』▽『Richard LorentzImogen Cunningham; Ideas without End (1993, Chronicle Books, San Francisco)』