カルメル山(読み)カルメルサン(英語表記)Mt. Carmel

デジタル大辞泉 「カルメル山」の意味・読み・例文・類語

カルメル‐さん【カルメル山】

Mount Carmelイスラエル北部の山。ハイファ南東に位置する。標高544メートル。キリスト教カトリック修道会の一つ、カルメル会発祥地ネアンデルタール人化石が発見された南麓の洞穴は、2012年、世界遺産文化遺産)に登録。

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精選版 日本国語大辞典 「カルメル山」の意味・読み・例文・類語

カルメル‐さん【カルメル山】

(カルメルはCarmel) イスラエル、ハイファ南東方にある山。中世、キリスト教カルメル修道会創立の地。ネアンデルタール人などの人骨が出土した洞穴遺跡がある。標高五四六メートル。

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改訂新版 世界大百科事典 「カルメル山」の意味・わかりやすい解説

カルメル[山]
Mount Carmel

地中海東岸,アッコ湾の南,イスラエルのハイファ港の一部を形成しているカルメル岬から,パレスティナ中央部に向けて伸びる丘陵。最高峰は546m。北東山麓にはエズレルの平野が広がり,その背後にはガリラヤの山々が見える。名前の原意は〈園,果樹園〉。旧約聖書では美と繁栄の象徴としてでてくる(《雅歌》7:5,《イザヤ書》35:2)。また預言者エリヤとバアル礼拝者対決の場としても名高い(《列王紀》上18)。今日でもカシやオリーブの木が繁茂している美しい山である。
執筆者:

この丘陵には数多くの洞穴があり,先史時代人はこれらを利用している。西アジアで最重要の旧・中石器時代の遺跡群であるだけでなく,ホモ・サピエンスの起源と農耕の発生という人類史上の画期となる事柄を究明する鍵をもつ遺跡群でもある。1929-34年にイギリスのガロッドD.A.E.Garrodが中心となって発掘調査したワド,タブーン,スフールの3洞穴において,西アジアの旧・中石器時代の変遷の概要が把握された。また3洞穴からは化石人骨も発見されており,ホモ・サピエンスの起源に重要な問題を提起している。タブーン人骨スフール人骨はほぼ近い年代のものであり,いずれもネアンデルタール人と考えられているが,タブーン人がヨーロッパ的な典型的ネアンデルタール人に近いのに対し,スフール人はネアンデルタール人からホモ・サピエンスへの移行型とされている。この差については種々の解釈がなされているが,いずれにせよホモ・サピエンスの発生の問題を解決する最重要の鍵となるものである。また,このタブーン,スフールの両洞穴では,前期旧石器時代のアシュール文化,中期旧石器時代のルバロアゾ・ムスティエ文化の石器群が発見されている。ワド洞穴では,中期旧石器時代のルバロアゾ・ムスティエ文化,後期旧石器時代の各種の文化の石器群が発見されている。さらにその上に中石器時代の文化であるナトゥフ文化の石器群が発見されている。ナトゥフ文化の文化層からは多くの埋葬人骨,穀物利用と関係が深い作り付けの石皿と考えられる岩盤に穴をあけたもの,平石で作られた舗床などが発見されており,その後に発見される数多くのナトゥフ文化の開地遺跡におけるあり方と同様の複雑な遺構をもっている。またこの遺跡の発掘調査は,それまでヨーロッパ中心で進められていた旧石器文化の研究を,世界的規模に広げるきっかけとなった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルメル山」の意味・わかりやすい解説

カルメル山
かるめるざん
Mt. Carmel

西アジア、イスラエル北部にある山。地中海岸の都市ハイファの南東8キロメートルに位置し、標高546メートル。この山の名は、祈りの場として『旧約聖書』に出ており、またカトリックの修道会であるカルメル会が6世紀にここを本拠としていたことでも知られているが、今日では重要なネアンデルタール人骨を出土した洞穴遺跡として有名である。

 ここには、タブーン(かまどの意)洞穴、スフール(子ヤギの意)洞穴、ワド(涸(か)れ谷の意)洞穴などがある。これらは、1929~34年にイギリスの考古学者ギャロッドDorothy A. E. Garrod(1892―1968)とアメリカの考古学者マッカウンT. D. McCownに率いられる両国の調査団によって発掘された。タブーン洞穴からは、30歳前後の女性のほぼ完全な骨格が出土したが、これは典型的なネアンデルタール人の特徴を保有していた。スフール洞穴からは10体の男女骨格(うち3体は小児)が出土した。スフール人はネアンデルタール人と現生人類の中間的特徴を示しており、たとえば第5号人骨は成人男性であるが、突出した眼窩(がんか)上隆起を除くと現生人類的であった。両洞穴とも、ルバロワゾ・ムステリアン型石器を出土し、しかも互いに200メートル程度離れているだけである。このためカルメル山の人骨について、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとが共存していて混血したとする混血説と、ネアンデルタール人からホモ・サピエンスに進化する途上のものという移行説とがたてられた。しかし、前者は不自然な考え方であるとみられており、さらに中近東地区から類似した人骨が発見されたこともあって、現在、後者の説が確実だとされている。年代は当初両者とも、4万年前とみられたが、最近の検査ではタブーン人は10万年前以上とみられており、スフール人も10万年前とされるが、確実ではない。なお、両洞穴の中間に位置するワド洞穴からは、後期旧石器時代および中石器時代に属する人骨が多数発見されている。

[香原志勢]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルメル山」の意味・わかりやすい解説

カルメル山
カルメルさん
Mount Carmel

ヘブライ語表記では Ha-Karmel。イスラエル北西部の山地。パレスチナの中央を南北に縦断するユダ,サマリヤ山地の北部から北西に突出する形で連続し,北東側をハイファ海岸平野とエズレル低地に,西側を地中海岸にはさまれ,ほぼ三角形状をなしている。長さは 26kmで,広さは 245km2に達する。南部では幅数 kmに達するが,北西端はハイファで海に迫る岬を形づくり,海岸平野を南北に2分している。もともと褶曲山地として形成されたうえに,両側に断層が生じて隆起したものと推定されており,急崖に囲まれているが上部では平坦地が多い。最高点は標高 546mに達する。表面は石灰岩やドロマイトでおおわれ,カルスト地形が発達していたるところに洞穴がみられ,西南腹の洞穴には,旧石器時代の遺跡として知られるものもある。この山地で発掘された人骨はカルメル原人の名で有名である。現在ではハイファの市街地が膨張して,その住宅地がカルメル山上に及んでおり,海岸の市街地とケーブルカーで結ばれている。また南部にはイスラエル建国後,多くのユダヤ人入植村が設立されている。カルメル山の名は前 16世紀のエジプトの記録にも「聖地」とみえ,旧約聖書にも登場し,エリヤやエリシャの伝説 (列王紀上 18~19章,下4章) で知られ,美と豊饒の象徴とされている。山麓のエリヤの洞穴はユダヤ,キリスト,イスラムの3宗教徒にとっての神聖な場所となっている。

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世界大百科事典(旧版)内のカルメル山の言及

【パレスティナ】より

…山地西側では海岸線に沿ってヤーファーやガザ,山地東側ヨルダンの谷(ガウル)の荒野のなかのオアシスにはイェリコ(アリーハー)などの都市が成立した。サマリア山地の北端はカルメルal‐Karmal山となって地中海に突き出し,アッカー(アッコ)やハイファの良港をつくり出した。パレスティナ北端のガリラヤ山地(ジャリール山地Jibāl al‐Jalīl)はその北のレバノン山地に連結しているが,ガリラヤ山地にはサファドやナザレなどの都市が生まれた。…

【フェニキア】より

…地中海東岸の一地方に対する古代名。南北方向にタルトゥースからカルメル山までの約320km,東西方向には海岸から東へ約20kmの細長い地帯をなし,最高地点は標高約300mである。古代地理上シリアの一部をなし,南にはパレスティナ,東にはヨルダン地峡,北にはオロンテス川流域の平野部がある。…

※「カルメル山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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