世界大百科事典(旧版)内のカレル[1世]の言及
【カール[4世]】より
…ルクセンブルク家のボヘミア王,ドイツ王(在位1346‐78),神聖ローマ皇帝(在位1355‐78)。ボヘミア王としてはカレル1世Karel Iとよばれる。少年期の7年間パリ宮廷で教育を受け,15歳で父ヨハンの代理として自家の北イタリアへの勢力拡大工作に従事。…
【チェコ】より
…
[ドイツ化とその反動]
中世におけるチェコの繁栄は14世紀のルクセンブルク朝(1310‐1437)のもとで促進された。百年戦争中フランスの宮廷で成人した同朝のボヘミア王カレル1世(在位1346‐78)は,ハプスブルク家の躍進を危惧したドイツ諸侯によって1347年,神聖ローマ皇帝に選出された(皇帝としてはカール世)。彼は1356年に金印勅書を発布してボヘミア王を7選帝侯の首位におき,帝国の強化の基礎をチェコにおいたのである。…
【チェコスロバキア】より
…しかし同時に,インドなどのアジア市場における靴の販売競争を通して,両国間に経済的な競合関係も生じている。 第2次大戦によって両国の交流は一時中断したが,戦後プラハのカレル大学(プラハ大学)に日本語・日本学講座が開設され,本格的な日本研究の基礎が築かれた。57年には日本とチェコスロバキアの国交が回復し,東京とプラハに大使館が開設された。…
※「カレル[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」