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ドイツの数学者。デンマークの富裕な商人の子として,ペテルブルグに生まれ,ドイツ,スイスの大学に学び,ベルリン大学で学位を得,1879年ハレ大学の教授となった。1872年に三角級数論に関する論文で実数,集積点,導来集合を定義し,集合論的位相幾何学への道を開いた。しかし彼の名は集合論の創始者として,よりよく知られている。74年の研究で無限集合の元の数(濃度)を定義し,有理数よりも実数のほうが多いこと,その後直線の点の数は平面の点の数に等しいことを証明し,当時の数学界を驚かせた。可算集合,計量数,順序数など集合論の基礎概念は彼に負うものである。彼の考えは当時あまりにも新奇なもので,批判的立場の学者も多かった。これに対し,彼が〈数学の本質はその自由にある〉といって弁護したのは有名な話である。しかし集合の考えを無限に推し進めて,すべての集合の集合を考えると,矛盾が生ずるのであるが,集合とクラスを区別して組み立てた公理論的集合論の立場ではこの矛盾は解消する。カントルが提出した有名な仮設〈実数の数と自然数の数との間の濃度は存在しない〉は長く未解決であったが,公理論的集合論の立場からK.ゲーデル,P.J.コーエンによって,この仮設は集合論の公理と独立であるということが示され,解決を見た。集合論の現代数学への影響は甚大で,現在では数学全分野が集合論の言葉で書きかえられ,そのため従来直観的に把握されていた諸概念が透明な形で定式化され,数学が著しく理解しやすくなったのである。
執筆者:伊藤 清
本来はラテン語で〈歌い手〉を意味する。ローマ・カトリック教会の礼拝においては,聖歌隊(スコラschola)のリーダーとして先唱し,また独唱する歌い手を指す。たとえばグレゴリオ聖歌によるミサ聖祭のグローリア(栄光の賛歌)では,最初の句〈天のいと高きところには,神に栄光〉を独唱するのはカントルの役割であり,〈地には,善意の人に平和あれ〉以下は,聖歌隊が斉唱する。そこから転義して,教会音楽の学院の長をも指す。
ルター派ドイツ福音主義教会においては,カントルは歌い手よりむしろ作曲家,指揮者,教育者であった。カントルは教会付属学校の音楽の教師をつとめ,そこで指導し育成した生徒たちを中心とするカントライKantorei(児童声を含む合唱隊と器楽奏者からなる聖歌隊)を組織して礼拝に参加した。16世紀から18世紀にかけてのドイツ福音主義教会の音楽の興隆は,このカントルの職制とカントライの伝統を抜きにしては語ることができない。歴史上とくに有名な人物は,ライプチヒ市聖トーマス・カントルであったJ.S.バッハとハンブルク市聖ヨハネ・カントルであったテレマンである。
執筆者:服部 幸三
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…さらに,この過程を通じて,不動点定理などが得られて,数学のほとんど全分野に対する位相幾何学の重要性が認識された。ポアンカレとともにトポロジーの形成に大きな貢献をしたのは集合論の創始者G.カントルである。彼はn次元ユークリッド空間の一般の点集合に対して,集積点,開集合,閉集合などの位相的概念を導入し,点集合論,すなわちユークリッド空間の位相の理論を創始した(1879‐84)。…
…また,コーシーの時代には極限の概念は確立していても一様収束の概念がなかったため,いくつかの誤った結果が導かれたが,N.H.アーベルによる一様収束の概念の発見によってそれらの問題点が明確になり,誤りは正された。続いてG.F.B.リーマンは,積分の定義を反省してそれを一般にした論文を発表し(1854),さらにG.カントルは無理数論ならびに集合論を創始した(1872)。 これよりさき,J.B.J.フーリエは熱伝導に関する有名な論文(1812)を書き,すべての関数はいわゆるフーリエ級数で表されることを論じたが,これが解析学に及ぼした影響は大きい。…
…集合として扱われるものを使った推論。集合という概念を定義することを提案し,有効な理論を打ち立てたのはG.カントルである。カントルは次のように集合を定義した。…
…ヒルベルトはさらに実数を用いて(A,E)の諸命題が成り立つモデルをつくり,(A,E)の無矛盾性を示した。実数論については《ストイケイア》第5巻にもすでに述べられているが,それを完成したのも19世紀の数学者K.ワイヤーシュトラス,R.デデキント,G.カントルらの業績であった。実数論は,彼らによって自然数論に帰着されたが,デデキントやG.ペアノは,集合と写像の考えを用いて自然数論を公理的に構成した。…
…数学は矛盾のない理論体系と信じられており,諸科学の中でももっとも厳密な論証を誇るものとして,およそそのよって立つ基盤がゆらぐようなことがあろうなどとは考えられなかった。ところが,19世紀末G.カントルによって創設された集合論はまもなく逆理を生じた(パラドックス)。カントル自身が発見した逆理(1899),ブラリ=フォルティの逆理(1897)やラッセルの逆理(1903)がそれである。…
…1844年,J.リウビルは,は超越数であることを示し,超越数が無限にあることを初めて証明した。その後,G.カントルは集合論を建設し,濃度の概念を用いて超越数は代数的数よりはるかに多いことを77年に示してセンセーションを巻き起こした。しかしながら,具体的に与えられた数が超越数であるかどうかを判定することは今日でもきわめて困難な問題である。…
…戦時中,占領軍の保護下に発足した劇場を総ボイコットした精神は,81年,戒厳令強行に抗する俳優らの出演拒否に再現され,このため当局は〈舞台俳優組合(ZASP)〉を解散させた(1982)。 戦後40年,真にポーランド的な演劇を築いてきた功績は,劇作家S.ムロジェク,T.ルジェビチ,演出家A.ワイダ,アクセルErwin Axer(1917‐92),ハヌシュキエビチAdam Hanuszkiewicz(1924‐ ),T.カントル,J.グロトフスキ,俳優ホロウベクGustaw Holoubek(1923‐ ),シフィデルスキJan Świderski(1916‐88),エイフレルブナIrena Eichlerówna(1908‐ ),ミコワイスカHalina Mikołajska(1925‐89),シロンスカAleksandra Śląska(1925‐92),ウォムニツキTadeusz Łomnicki(1927‐92),装置家J.シャイナら多彩をきわめる。彼らが好んで演ずるS.I.ビトキエビチ,W.ゴンブロビチ(ともに故人)のグロテスク劇の現代批判が演劇の主流であり,国際性もここに存する。…
※「カントル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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